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海士町みんなのnote

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海士町のみなさんが更新されているnoteや、海士町のことを書いてくださったnote、#海士町のnoteなどをまとめています。
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2020年1月の記事一覧

節目、というチャンス。

昨日はいくつかの会議をさせて頂いたけれども、話題は今年のことから来年以降の話が多くて、中でも後鳥羽院御遷幸800年についての話題が多い。というか、僕からしつこくさせて頂いている。1221年、承久の乱に敗れた後鳥羽院は、41歳のときに海士町に御配流され、この島で崩御された。来年、2021年はその後鳥羽上皇がこの島に来られてから800年、という節目の一年となる。 今日の写真はこの後鳥羽上皇をご祭神とする隠岐神社。昭和14年に建てられた神社で、初めてこの島を訪れた時にこんなに

背中を押してくれている、ひと言。

今日の写真は今月に行われた東京ドームでのイベント風景。隠岐からは隠岐の蟹が販売され、離島キッチンのスタッフたちが離島をPRし続けてきた、と聞いた。昨日はその離島キッチンにて、日々とってもお世話になっている関係者の皆さまと会議を兼ねた夕食。 東京へ来て、隠岐の話をしながら、全国の離島の食材を食べ、島のお酒を頂く。離島へ少なからずの想いをもって働いてくれているスタッフがこちらの会話の合間に、丁寧に、そして控えめに食材を島の紹介を挟んでくれる。見渡せば、いつの間にか1階も2階

船旅、という日常。

今日から島外へ出張。この冬の時期はどうしても出張が多くなるけれども、離島の仕事における出張に船旅はつきもの。フェリーだと片道3時間。その後の目的地までの移動次第では、移動日を往復で確保しなければいけなくなる。逆も然りで打ち合わせやプロジェクトでご来島頂く方は、常にこの船旅の日程を確保しておいていただく必要がある。これだけ便利になって、忙しい方も多い中で、心苦しく感じることも多いのだけれども。 この島に住み始めて13年にもなるけれども、意外とこの時間がそんなに嫌じゃない。

働く役割を変えていくこと。

写真は、海士町観光協会の太田くん。写真家である彼のカメラを僕がもって、言われるがままに彼をとってみた。iphoneではない写真を撮ったのはいつ以来だろう。彼は観光協会の職員でもあり、元々観光協会の職員だった僕の後輩でもあり、「写真家」として7年間この島に住み「マルチワーカー」として働いている。 マルチワーカーとは、元々季節で求人需要が劇的に異なるこの島で、春には岩ガキの加工現場、夏にはホテル、秋にはCASという特殊な凍結技術の加工施設で、そして冬には隠岐酒造やナマコの加

終わりの迎え方

突然SNSを更新しだして、早速とっても嬉しかったことがあった。 昨年春にこの島の高校を卒業した前田くんからメールが届いた。 青山さん ご無沙汰しております、昨年島前高校を卒業しました、前田です。 ~~~ マリンポートリニューアルのnoteを拝見しました。少し気になったことなのですが、改装工事に入る前に何か儀式といいますか、今までのホテルに対して感謝とお別れの会、みたいな事はされたのでしょうか?海士にいた時から気になっていたのですが、何か建物を立てる時に上棟式をするのに家

半年後の再会を経て。

昨日のnoteに書いた通り、青木さんと写真家の太田くんと、ふとしたはずみでプロフィールを撮影してもらったり、SNSを更新しなおしたり、こんなことしてる場合か?なんて自問自答しながらも、なんだか楽しく、わくわくしている自分がいたのも確かだった。太田くんからは「敦士さん、ギア入りましたね。」なんてメッセージをもらって、さらにこのワクワクを自覚した。 海士のことを伝えたい、僕らのホテルのことを伝えたい。そんな思いはずっとあったのだけども、自分のことを発信することが、それに繋が

解体、note、スタート。

ホテル魅力化プロジェクトという名前で、 5年ほど前から、ホテルのスタッフとも、島のひとたちとも、時には島の外のひとたちとも、どんなホテルがこの島にあるといいのか、どんなホテルを創っていきたいのか。 ずーっと話し続けていたら、3年前にホテルの経営を預かることになった。 たくさんの、たくさんの人に助けてもらいながら、たくさんの言葉と、たくさんの勇気を頂きながら、ホテルの世界に飛び込んだ。 「マリンポートホテル海士」 島で唯一となるこのホテルの別館を解体して建て替える、とい