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海士町みんなのnote

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海士町のみなさんが更新されているnoteや、海士町のことを書いてくださったnote、#海士町のnoteなどをまとめています。
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2022年3月の記事一覧

“島の宝”を活かす。ふくぎ、そして人材。

島で昔から当たり前だった食文化に、“よそ者”、すなわちIターン者の視点で光を当てて商品化する。そんなプロセスから生まれた海士町の特産品として「さざえカレー」が有名ですが、もうひとつ忘れてはならないものがあります。島のハーブティ「ふくぎ茶」です。 ふくぎとは、クスノキ科の落葉低木樹であるクロモジのことで、和菓子の爪楊枝(黒文字)として使われている植物。4月頃から山で咲く淡い黄色の花は、碧さを増し始める春の日本海をバックによく映えます。 “現場のプロ”であればいい ふくぎ茶

島流し3日目 その2【自分のらしさと会社のらしさ】

★この内容は 2022/3/16 の記録です。 明屋海岸で朝から熱い気持ちを叫んだ後は、島の玄関口、菱浦港の近くへ。 いまから15時のフェリー出港までは、非日常から日常に接続していくための最後のワークだ。 ※前回の記事はこちら ホテル Entô(エントウ)向かった先はホテル Entô(エントウ)。 2021年7月に旧マリンポートホテル海士がリニューアルされて誕生したホテルだ。 別館を新しく建て直し、客室を一新。ロビーフロア等は隠岐ユネスコ世界ジオパークの拠点として

小さなときめきに耳をすませて

25歳にして初めて経験した釣りに感動し、いきなり「よし、漁師になろう」と決意する女子が世の中にどれだけいるでしょうか。しかもそれから1年も経たないうちに離島へ移住し、実際に漁師になってしまう女子が。 海士町には少なくとも一人います。海士町複業協同組合で働く、山郷(やまごう)志乃美さん(埼玉県出身)です。 「爆釣だったわけでも大物を釣り上げたわけでもなく、20cmくらいのカサゴでしたけど(笑) 私の中で何かが変わるほど嬉しくて…」 初めての釣りは2020年5月、大学院修

休学期間に離島海士町で7カ月過ごして、本当に良かったと改めて思う6つのこと

暖かくなりましたね。 今年は実家の12歳になった愛犬とともに 桜を見上げています。🌸 どこで見るか、 誰とみるか、 を毎年少しだけ気にしています。 ーーーーーーーーーーーーーー あっという間の島で暮らしていた7か月間。 春夏秋。 島を離れてから5か月が過ぎるが、 お正月や家族旅行で島を3回ほど訪れ、 「お帰り!」「あれまだいたのかね!」 なんて、島に住む好くしていただいた人たちに声を掛けてもらう。 なんと幸せなことだ。 7ヶ月いたから、ひと記事では収まらないぐらい 毎

離島で暮らすことを決めた理由

東京生まれ、東京育ちの38歳。この春から、隠岐諸島の海士町(あまちょう)に暮らしの拠点を移すことを決めた。自分の記録のために、そしてこの記録が誰かの参考になればという気持ちで、離島で暮らすことを決めた理由について書きたいと思う。 海士町のコンセプトは「ないものはない」本土からフェリーで3時間。人口は2,400人、コンビニはない、信号機は1つだけある島。縁があって、昨年夏に家族で訪れた。島に到着してはじめに感じたのは「音が違う」ということ。長年のマスク生活で耳の感覚が発達した

島流し3日目 その1【海士の海岸で愛を叫ぶ】

★この内容は2022/3/16の記録です。 9人の仲間と濃厚な時間を過ごした、非日常の時間も本日まで。 島から出れば、それぞれ、いつもの慌ただしい日常に押し流されていくだろう。 この島で感じたことを、気づいたことを、どう日常に接続していくか。それが最終日のテーマ。 ※前回の記事はこちら 明屋海岸へ朝食を済ませまず向かったのは、島の北東部の明屋海岸。 素潜りをすればサザエがいくらでも採れてしまうような青く澄んだ海岸で、夏場はキャンプ場にもなるという。 ぼんやりと想

山陰広告賞2022とデザイン

今年もやってきました3月。そしてもうすぐ4月ですね。 3月は別れの季節でもありますが、同時に、変化と進化の時期でもありますよね。 引っ越して新しい道に進んだり、中学生が高校生になったり。枯れ葉もなく動きの止まっていた庭には緑が芽吹いてきたり。春は動き出す時節ですよね。 コロナで移動しにくい日々は続きますが、できるだけ動いていきたいなと思う今日この頃です。 この記事を読んでいてくれる方の中にも、変化のある人もいるかも知れません。出会いがあれば別れもあるし、形あるものはいつか

大切なものは大切、それでいい。明日島を去るインターン水越より。【YOUは何しに学習センターへ?#番外編】

どうもこんにちは。 昨年の4月から学習センターでインターンをしていた水越です。 茨城県出身、21歳、大学3年生です。 初めましての方も多いと思いますが、私は明日島を離れるので、初めましてでさようならですね。 私は自我が強いので、島を離れる前にどうしてもnoteを書いておきたい!という思いに駆られ、離島直前にこれを書いています。 明日の今頃はもう島にいないのか…実感がわかないなあ。ただ寂しい。 私が島に来た理由ではまず初めに1年前の自分を振り返って。 島に来た理由は、なん

【しまね女子ブログ】 小坂まりえvol.6

そういえばIターンって、“風の人”なんて言われたりもします。遠くからやってくる人。 響きはカッコいいけれど、地元の人からしてみれば、土地に根付かずにいつか去る人という意味もあり…私はややネガティブなニュアンスでそう呼ばれた経験もあります。 移住者が多い海士町では人の出入りが激しくて、出会いと別れが頻繁にあります。卒業や転勤シーズンの春は特にそうです。 でも私はあまり寂しくなくて、どこにいてもゆるく繋がっていけるから大丈夫、という感覚です。 軽やかに来て鮮やかに去り、そしてま

海士町へ2度目の移住をし、1年で100の記事を書いて感じたこと。

みなさん、こんにちは。 大人の島留学に参画し、海士町役場 総務課で情報発信業務(主にライティング)をしている嘉根です。 昨年(2021)の4月にはじめて書いた記事の中で、「1年間で100本記事を書く!」と宣言してから約1年。この記事がちょうど100本目の記事となりました。 人生ではじめて目標を掲げたこの1年。「100本の記事を書きたい!」と言い続けながら、たくさんの記事を海士町noteに綴りました。 ときには、上手く書けないと悩んだり、締め切り間近だ!と焦ったり、様々な

若い頃はひたすら試練。40代で「解き放たれた」!?

中里地区から西地区へ向かう道沿いに建つ、クールな外観の建物。 周りは田んぼだらけのいわゆる“田舎の風景”ですが…だからこそ、思わず目を奪われます。 さわやかなライトブルーでデザインされたお洒落なロゴの隣には「YUDEN」の文字。 ここは、水道や空調設備の施工を行う地元企業、株式会社ゆうでんの事務所です。 「カッコいいだら?イメージは大事だけんな!海士町にもイケとる会社があるぞって、毎日ここを通る海士中学生たちにマインドコントロールをかけとるだわい!」 そう言ってニヤリ

島流し2日目 その2【海士の越境者を訪ねて#2】

★この内容は 2022/3/15 の記録です。 町役場を後にし、ここからは2組に分かれて、さらに2人ずつ島の越境者を訪ねていく。 ※前回の記事はこちら 還流コーディネーター ロドリゲス拓海さん私たちのチームが次にお話を伺ったのは、ロドリゲス拓海さん。 ペルーの血が流れる、東京生まれ、東京育ち。20代半ば。 早稲田大学在籍中に、都市と地方の教育格差への関心を持ち、隠岐國学習センター(島の高校生の予備校のような場所)にインターンに来たことがきっかけで海士町と関わりを持つ

島流し2日目 その3【私たちが海士の人に語る】

★この内容は 2022/3/15 の記録です。 濃厚な午前中の越境者の方々を訪問を終えた後は、島の日常を体験し、今度は私たちが島の人たちに語りかけていく。 ※前回の記事はこちら ワカメ収穫体験ちょうどこの日は、島の小学生たちが、少し前に仕込んだワカメを収穫する日。 私達も収穫のお手伝いをさせてもらいながら、子どもたちとの交流も深める。 まずはみんなでワカメを引き上げて、 そして、どんどん切っていく。 大人たちはワカメがついた綱を持って、サポート。 手に取るとこ

新たな挑戦2200人の島

人間本来の暮らしをするため 野生の勘を取り戻すため 生きていることに感謝するため 海士町に親子島留学にやってきました。 娘も私も新たな挑戦です! なぜ海士町なのか。海士町は、「ないものはない」をフレーズにしている島民2200人の島です。過去には財政破綻の危機や深刻な過疎化を迎え、唯一の高校である隠岐島前高校も廃校の寸前に。教育を変えることで町おこしをと、奮闘し、様々な挑戦を続けたことが、話題になり今では移住者が10%にまでになっている。 若者の移住が絶えない。 海士町