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「滞在型エリアのゾーニング事業」って?プロジェクトに関わった職員が語るこれまでとこれから

海士町の観光名所のひとつ「隠岐神社」。1939年、後鳥羽天皇700年祭に創建されたこの神社には、多くの方が訪れ、長く足を止める場所となっている。

しかし近年、観光客が減少するばかりか、隠岐神社に“わずかな時間しか滞在してもらえない”ことが町の課題となっていた。そこで立ち上がったのが「滞在型エリアのゾーニング事業」。20年以上変化していなかった観光コースをアップデートし、滞在時間を伸ばすことで海士町の魅力を知ってもらうことがねらいだ。

取り組み開始からおよそ10年。各事業がどんなことに取り組んできたのかを隠岐桜風舎と「島食の寺子屋」コーディネーターに、どんな心持ちで観光客をお迎えしているのかを海士町観光協会の職員にそれぞれ聞いた。

隠岐桜風舎:伊藤さん

左:伊藤 茜さん、右:リー マイヤさん

隠岐神社周辺ゾーニング事業は、株式会社 隠岐桜風舎が主体となり、隠岐神社・隠岐海士交通・海士町観光協会の協力とともに推進した。取り組んだのは、「バスガイド・夜まいり・ウェディング事業」「昼食提供場所『離島キッチン海士』」、「無料休憩所改修『土産加工・販売拠点施設』」「後鳥羽院資料館運営」「後鳥羽院和歌/短歌/俳句大賞運営」の大きく5つだ。

事業全体に携わった、 隠岐桜風舎の伊藤 茜(いとう あかね)さん(写真・左)。京都造形芸術大学在学中から海士町と縁があり、卒業後の2015年に海士町へ移住した。

「大学では空間デザイン学科のジュエリーコースを専攻していました。ジュエリーと聞くと、ダイヤモンドやルビーでできたアクセサリーをイメージするかもしれませんが、道端で拾った石も、誰かからもらった石も、その人にとっては“ジュエリー”。そんなことを学んできたから、海士で新しいお土産物を作ったり、まだスポットライトが当たっていないものの魅力を発見したりするのがとても楽しかったんですよね」

伊藤さんが作成した「後鳥羽院資料館の魅力化へ向けた会」資料

隠岐桜風舎はこれまで、さまざまな事業のリニューアルや新規プロジェクトの立ち上げを担ってきた。

たとえば、和食料理「離島キッチン海士」。かつて主流だったツアーは約60分で駆け足で回るものだったため、ゆっくりお昼を食べる暇が無かった。さらに、島内の飲食店は団体ツアーほどの大人数を受け入れることができず、団体観光客はフェリーでお弁当を食べるケースが多かった。そこで、「離島キッチン海士」を立ち上げ、島で採れた食材を1時間ほどかけて食べてもらう時間をツアーの中に組み込んだ。

出典:https://okiofusha.co.jp/kitchen

「離島キッチン海士は、料理人を育てる学校『島食の寺子屋』の生徒の実践の場(※後述)にもなっています。島で採れた食材だけでおもてなしをしているので、仕込みには3日もの時間を要します。それだけ手間暇を掛けているからこそ、お客様も美味しさを感じてくれますし、食後に温かい言葉をいただくことも多いです」

また、無料観光休憩所を改修し、「お土産と手仕事のお店 つなかけ」(以下、つなかけ)を立ち上げたのも大きなプロジェクトだった。つなかけがあった場所は、それまで無料観光休憩所として開放されていた。半分以上が、テーブルとイスが置かれたフリースペース。土産物の販売は行っていたものの、がらんとした店内でそれらを手に取る人は少なく、地元の人が足を運ぶこともめったになかった。その場所をリニューアルしてできたのがつなかけだ。

出典:https://e-oki.net/e-bike/amacho/sightseeing_spot/tsunakake.php

木材の風合いが生き、あたたかな雰囲気が漂う店内には、伝統和菓子「白浪」や「キンニャモニャ饅頭」のほか、「海士乃塩チョコレート」「海士のサブレ― あましゃもじ」など、洗練されたデザインのお土産も並ぶ。

レジの前でひときわ目を引いているのが、手作りの看板だ。

これは、つなかけで販売しているパンのパッケージを模したものだ。2021年に、かつて海士町唯一のパン屋・菓子店だった「ときわベーカリー」の事業を承継し、現在はつなかけでその商品を販売している。

出典:https://www.instagram.com/p/CdYHYyPLFID/?img_index=1

海士町に住み、伊藤さんとともに製パン・製菓を担当するリー マイヤ(写真・左)さんは言う。

「海士町に移住してきたころ、ときわベーカリーが海士町唯一のパン屋さんだってことを知らずにパンを買ったら、なかなか美味しかったんです。あとからときわベーカリーの背景と歴史を知って、廃業すると聞いたときはすごく寂しく思いました。それを引き継げるならと、つなかけで働くことを決めました」

つなかけのオープンとときわベーカリーの継承によって、多くの観光客が隠岐神社の参拝後にこのエリアに留まるようになり、土産物にもこれまで以上に興味を持ってくれるようになった。島に住む人たちも足を運んでくれるようになったことで、島内の人・島外の人が交わる場所になりつつある。

このほかにも、過去には団体観光客にしか行っていなかった観光ガイドを個人の観光客向けにも提供したり、夜に隠岐神社のガイドを「夜の隠岐神社まいり」を企画・運営したりと、隠岐桜風舎はさまざまな取り組みを行っている。

「ゾーニング事業の大義名分は『観光客の滞在時間を伸ばすこと』でしたが、プロジェクトを行うことで隠岐神社を訪れて、人や食、土産物を通じて海士町のことを知るきっかけになったらと思っていましたし、地元の方にも来ていただいて交流が生まれたらいいなと思っていました。日常を支える部門、特別な“非日常”を支える部門をどちらも持っているのが隠岐桜風舎。これからも、観光客と島の人たちが溶け込んでいる風景を実現していきたいと思います」

島食の寺子屋 コーディネーター:恒光さん

伊藤さんのお話に登場した「離島キッチン海士」では、海士町の料理学校「島食の寺子屋」講師の指導のもと生徒が作った料理を観光客に提供している。

島食の寺子屋は、「和食の入り口に正しく立つ人を育てる」ことをモットーに、料理人を育てる学校だ。その土地、その季節に、自然からいただいたもので料理をする……そんな和食本来の心や技術を、1年間のカリキュラムを通して伝えていく。

海士町の南端にある崎地区校舎 出典:https://washoku-terakoya.com/

島食の寺子屋のコーディネーターを担うのが、恒光 一将(つねみつ かずまさ)さんだ。恒光さんが海士町にやってきたのは、社会人3年目、26歳のとき。航空輸送の会社を退職し、次に何をしようかと探索していたころ、島根の酪農家さんをきっかけに島食の寺子屋のプロジェクトに辿り着き、転職を決めた。

「もともと酪農に興味があって、酪農関係で仕事を探していました。ほとんどの求人で、加工・生産・販売が縦割りになっていたのですが、僕はそれらを横断的に経験してみたかったんですよね。島食の寺子屋は、生産現場から料理を提供するところまで見られそうだったので興味を持ちました」

出典:https://note.com/oki_geopark/n/ne1e0ea32fe4d

知り合いの誰もいない島への単身移住だったが、不安はなかった。「転職したらそこがたまたま島だった」。そう思っていた。

不安や焦りを感じ始めたのは、コーディネーターとして着任して約3年、島食の寺子屋の講師がいつまでも見つからなかった時期だった。恒光さん個人としては、「離島キッチン神楽坂店」(現在は閉業)への出向、生産者を知るための現場仕事などに力を尽くしていたものの、先生が見つからないことが理由で島食の寺子屋のプロジェクトは何も進んでいなかった。「本当にに結果が見えない日々でした」。恒光さんは当時を振り返ってそう話す。

「日本全体で見ても、和食の料理人は減っています。そこに対して人材の供給ができるように島で料理人を育成する、という建付けだったわけですが、現役の料理人に先生になってもらうとなると、そのお店の二番手・三番手が抜けて、そのお店が回らなくなってしまう。そんな矛盾を抱えたまま3年が経ち、『生徒はいつ来るんだ?』と島の人から毎日のように聞かれる――その時期が、一番きつかったかもしれません」

あるとき公邸料理人(日本国大使館などで働く料理人)が主人公の漫画『大使閣下の料理人』(原作・西村ミツル / 漫画・かわすみひろし)を読んでいたときにひらめいた。「公邸料理人は、その日ある食材で和食を作るプロ。公邸料理人になりたい人に出会えないだろうか?」。公邸料理人の帰国後に進路を案内するサービスを利用し、何度も掛け合った末に、佐藤 岳央(さとう たけお)さんを初代講師として迎え入れることが決まった。ようやく開講に漕ぎつけた初年度の生徒数は2人だった。

開講から2年が経ったころ、コロナ禍が襲う。しかし、島食の寺子屋にとって、コロナ禍はプラスに働いた。「都会を離れて違うことをしてみたい」「安全な島で、新しいことを学んでみたい」そんな人が寺子屋に集まっただけでなく、実践授業の内容にもバリエーションが生まれた。

「それまでの実践授業では、9つの小鉢とお造り3種、炊き合わせ、ご飯、汁物、蒸し物をからなる『箱膳』を作り、離島キッチンで提供していました。ところがコロナによって観光客が減り、食事の仕方も見直されるようになり、島の人も外食を控えるようになってしまった。それで、ソーシャルディスタンスを保てる少人数での懐石をやってみようとか、島の人に向けて仕出し弁当をやってみようとか、新しいことを取り入れていきました」

コロナ禍の2021年度生が作った卒業制作弁当 出典:https://note.com/oki_geopark/n/ne1e0ea32fe4d

現在は、コロナ禍に生まれたものも含め、昼の箱膳、夜の会席料理、仕出し弁当、オードブル、お食い初めなどの出張料理と幅広いメニューを提供できるようになった。観光客からの評価も上々だ。

「離島キッチン海士のお客様は40~60代の方がメインなのですが、その方々からの評価は非常に高い。手前味噌ですが、絶対的な自信を持っています。一方、20~30代の方たちにどうやって日本料理に興味を持ってもらえるかは課題ですね。寺子屋の生徒も20~30代だから、似た感覚を持っているはず。一緒に親近感を持ってもらえる方法を考えていきたいです。いつか、箱善や懐石料理だけではない何らかの形で、小料理を観光客に向けて展開できたらいいなとも思っています」

海士町観光協会:犬塚さん

海士町の玄関口、菱浦港(ひしうらこう)で観光客を迎え入れるのは、海士町観光協会の犬塚さん。2022年4月に島留学生として観光協会で働き始め、2023年4月には正職員になった。

島留学生として働いていた1年目は、やりたいことをなんでもやらせてもらった。たとえば、観光協会で貸し出しているe-bike(従来のものより加速がつきやすい、性能の高い電動自転車)。他の自転車に比べて利用料金が高いe-bikeの利用率は低迷していて“宝の持ち腐れ”状態だった。そこで、e-bikeで島を回る人向けの専用マップを作った。もちろんそこには「ゾーニング事業」に力を入れてきた隠岐神社周辺も描かれる。

さらに、飲食店の情報がまとまった分かりやすいマップが無かったことから、飲食店マップも作成し、今も窓口で活用している。

「島留学生だったときは、窓口業務とガイドの時間以外は何をしてもいいよというスタンスだったので、自分がやりたいことをやらせてもらっていました。いい意味で、あまり責任を感じずに動いていたかもしれません(笑)」

島留学生としての1年の任期が終わりに近づくころ、島を出て就職するのか、島に残り、島の仕事を続けていくのか葛藤した。家族や島の人に相談しながら、出した答えは「島に残る」。せっかく島でできた人間関係を手放したくなかった。

「島留学生として働いている間、観光協会の職員さんが忙しくて出向けない場所に出向いたり、事業所や宿の人と話をしたりしていました。そうすると『久しぶりに観光協会の人と話せて嬉しい』『今の観光協会はこうだよね』といろんな話が聞ける。“新しい顔”の自分にだからこそ言いやすいこともあったようで、島に住む人と観光協会とのパイプになれた気がしたんです」

観光案内所の窓口だけではなく、観光ガイドとしても活躍する犬塚さんだが、せっかく海士町まで足を延ばしてくれたのなら、観光地を巡ることだけを目的にしてほしくないという。それでは、海士町の本当の魅力が伝わらないと考えているからだ。観光ガイドである犬塚さんがおすすめする意外な楽しみ方は、夜の海と、海士町保健福祉センターひまわりでの入浴だ。

「海中展望船『あまんぼう』は、実は夜にもクルーズをしています。真っ暗な海に、たくさんの夜光虫が泳ぐ姿は他では見られないのでおすすめです。あまんぼうに乗らなくても、港からほど近いレインボービーチで水面を眺めていると綺麗に光って見えることもあるんです。お酒を持って、仲間と一緒に話をしながら眺めてみるのが一押しです」

あまんぼうでガイドを行う犬塚さん

海士町保健福祉センターひまわりは、島の南部に位置する、プール、サウナ、温泉、トレーニングルームが備え付けられた公共施設。大きなお風呂のない民宿やホテルが多い中で、手足を伸ばしてくつろぐには、ひまわりがうってつけだ。宿泊施設と違って島の人も日常的に利用する施設だから、お風呂に入りながら島の人と話もできる。「観光地として取り上げられることはないけれど、個人的にすごくおすすめの場所」と犬塚さんは笑った。

来島してわずか1年半(取材時)の犬塚さんに、新鮮な視点を持っているからこそ、海士町の観光地に対して思うところはあるかと尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「島に来たばかりのとき、観光協会の職員に『本土の観光地にあるような大型アスレチックみたいなものを作ったらいいのに』って提案してみたんです。そしたら『本当にそれが必要かどうか、ここで半年暮らして考えてみてほしい』と言われました。半年経ってみたら、やっぱりいらないなって思ったんですよね。

ただ便利にしたり、他の観光地を真似て華やかにしたりしただけでは、海士町の魅力は伝わりません。海士町に来る人はきっと“何もなさ”とか、そのまま残された“昔ながら”を求めてきているはず。だから、本来の海士町の魅力をどう引き出してあげるのかが、僕らが考えるべきことだと思っています」


島の人のこと、島に訪れる人のことを常に考える――属する組織こそ違う4人だが、そこには、そんな共通点があった。


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