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謙虚に生きる。“繫がり”を続けていくために

「『ないものはない』って、もっと謙虚に使うべき言葉だと思う」
と、ぼそりと胸の内を伝えてくれたのは、Mさん(仮名)です。

「実際の島暮らしって、自分に何ができるかも大事ではあるんだけど、自分には何ができないのかをちゃんと分かっていることのほうが重要な気がします。その自覚がないと、島での人間関係づくりはうまくいかないんじゃないかな…」

そう語るMさんは、海士町出身の40代男性。15年ほど前に本土からUターンしました。島に戻り、今どんなことを考えながら暮らしているか。その話を聞くことで、『ないものはない』をめぐる新たな視点が見えてきました。



島育ちゆえに・・・

小さい頃から、周りから家業を継ぐように言われて育ったMさん。でも高校進学の前、家業とはまったく違う料理人の世界に憧れた時期があり、料理の勉強をしたいと両親に打ち明けたそうです。

「その時にオヤジは、お前がやりたいことをやればいいよって、僕にはそう言いました。でも本心は継いでほしいんやで、ってオカン経由で聞かされて、その時点で腹が決まった。継がなきゃなと。それがこの家の息子としての役割なんだなと」

両親の気持ちを汲んで、料理人への道を断念したものの、一度は実家から離れたかったMさんは、島前高校卒業後は大阪の専門学校に進学しました。そして約10年間を大阪で過ごし、30歳になる手前でUターン。以来、ずっと島暮らしです。今では家業を継ぎ、自分の家庭をもって、島の産業を支える一人として活躍しています。

幼なじみや、長年の友人らにMさんの人物像を聞いてみると…
「空気を読める。必要に応じて慎重に喋る。余計なことを言わないところがいい」
「嫌なことを言われてもすぐに腹を立てず、いったん受け止める度量がある人」等々、なかなかの高評価。

「いやいや、だってそれは島の処世術ですよ。ここでは人間関係を切れないんだから、うまいことやり過ごす態度は大事だし、何事もおたがいさまなんです。暮らしている中で、互いに困ることもあるだけん、困ってる時に手を差し伸べるのが当たり前。そしたら相手に意見を言えるようになるし、また自分が助けてもらうことあるし。ほんと、おたがいさま」



チームスポーツで学べること

そんなMさんの息抜きは、週に一度のフットサル。島前高校の元サッカー部員たちが作ったフットサルチーム「蹴球一家」に所属し、毎週木曜日にひまわりコートで練習しています。
メンバーは地元民と移住者の男女で、特に最近は短期のIターンが多いため、蹴球一家ではメンバーの入れ替わりが頻繁です。Mさん曰く、そのメンバーの変遷にも、人間関係づくりの本質的な部分が見てとれるとか。

「もう15年くらいになるけど、僕が長いこと続けていられるのは、自分のポジションがあるからだと思う。IターンUターン関係なく、自分のポジションを確立できる人は残ってますね。周りをパッと見て状況判断ができる人。ただ単に出たがる人が多いけど、そうじゃなくて。周りを見て気を遣える人は、なぜかずっと残ってる印象です。たとえ仕事の異動で島を出たとしても、その後もずっとチームのLINEグループに残ってて、たまに島に遊びに来たりする。繫がりが切れないんですよね」

ひとりよがりでは持続的な繋がりは作れない。…と言うのは簡単ですが、どうしたらいいのでしょう?

「まず、探ろうとすることでしょうか。観察しながらフットサルしてたら、その人がどういうタイプなのか分かるもんです。プレースタイルはこんなんだな、前に行きたい人なんだなとか。ちなみに僕はガツガツ行かずに他人に合わせるタイプかな。お膳立てする、アシストするのがいい」

相手を見て、周りを見た上で、繋がっていく。自分ができないことがあるなら、できる人を立てるために動けばいい。自分がやりたくないことは、誰かに気持ちよくやってもらえるように動けばいい。

役割分担の意識は、フットサルに限らず、人間関係が濃密になりやすい小さな島で快適にコミュニケーションを取っていく極意のようです。


パチンコ店で鍛えられた?!

「全体を見ようとするクセがついたのは、パチンコ屋での経験のおかげかもしれない…」と、Mさんが明かしてくれました。大阪に出て半年くらい経った頃からアルバイト店員として働いたパチンコ店で、多くのことを学んだそうです。

「店の1階には正社員がいるけど2階にはいなかったから、自分でいろいろ判断して臨機応変に対応していく必要がありました。未成年が入ってきてタバコ吸ってたりするし、挙動不審な人もいるし。そういう職場で、あれこれ観察するクセがついたかもしれませんね」

バイトに入ったばかりの頃、上司に「あの人は凄いからお前もよく見とけ」と言われた先輩社員がいたそうです。その“スーパー社員さん”から学んだことは、まさに俯瞰の視点でした。

「パチンコ台には呼び出しボタンがあって、お客さんが何かトラブルがあった時にそのボタンを押すと台の上のランプが光ります。だから店員はそのランプを注意深く見てなきゃいけないんだけど、そのスーパー社員さんは、一番向こうにいてもチカチカに気付くんです。あっちからは見えないはずなのに何で?!って思ったら、秘密はミラー。店内あちこち天井にミラーがあって、それを巧みに利用してるんです。ここに立っていれば全体が見渡せるというのを細かく把握して頭に入れてたんでしょうね。だからどこにいても誰よりも早くランプの点灯に気付ける。本気で『この人は凄い!』と思ったから、そのレベルに行こうと努力しました」

パチンコ店での5年間のアルバイトが、図らずも、全体を意識して能動的に動く実践的なトレーニングになっていたというわけです。


仲間と、じっくりやっていく

フットサルの他にも、チームに欠かせないメンバーとしてMさんに声がかかる大事なイベントがあります。毎年8月に隠岐神社で開催される、海士町盆踊り大会です。

スタッフは地元民と移住者の混成チームで、20代から50代の町民有志。そんな中、準備の日も本番当日も、現場でいつも周りを笑わせ、場の空気を意識的に盛り上げようとしているMさんの姿があります。

「自分はずっといじられ役だし、いじるポジションが確定してる人もいるよね。楽しくやるのは、次の世代のため。若い子たちに、僕ら世代が楽しんでいる姿を見せなきゃなって思いはあります。新しい人たちのヤル気を盛り上げて皆がわーっと楽しそうにやってれば、僕はサーっと引けるでしょ。サーッと引きたいんですよ!…っていうのは冗談だけど、フェードアウトしそうでしない、こっそり引っ張る役割がいいんじゃないかなって」

「盆踊り大会は長く続けていけたらいいですよね。新しいメンバーも入れながら、これからもわちゃわちゃやれればいいし、そこで人が育ってくれたら一番いい。僕らを見てて、楽しそうな“匂い”を嗅ぎつけて寄ってくる子がいるでしょ。島の地元民が考える人づくりってそれと似ていて、興味やヤル気のある人が寄ってくるのをみんな待ってる感じ。都会の企業みたいに人材育成プログラムを作り込んで誰にでもやらせるのとはちょっと違うんですよね。育てる側は、待つのも大事だと思ってます。時間はかかりますけどね」

この育てる側の「待つ」は、「観察」に近いかもしれません。その人がどんな人間であるかをよく見る。やろうとしない人には無理にやらせず、ヤル気がある人にだけ、できることをやらせる。本人が、自分の役割に目覚めて自主的に動くのを待つ。
…かつてMさんの父親がそうしたように。


「役割分担の意識で生きるって、謙虚さがあってこそ。自分ができることを見極めて、相手にも動いてもらいつつ、やるべきことはキッチリやる。できないことがある、って分かっていることが大事なんだと思います」

できないと受け入れて降参する。一抹の悔しさや悲しさはあるかもしれない。でも卑屈にならず、心の中では堂々と「できることはできる!」と、自分らしく島社会に貢献していこうとする姿勢。自分にはないものをもっている人と補いあっていく共同体。

謙虚さをベースに仲間と協働していこうとするMさんの生き方は、人間関係を長く続けていくための知恵であり、『ないものはない』幸福論と言えるのではないでしょうか。


【書き手よりひとこと】

Mさんが語ってくれたのは、リアルな島の流儀。
『ないものはない』という一言では表現しきれない、地元民ならではのやるせなさ、複雑で繊細な愛情もひっくるめた “本当のところ” を正直に教えてくれました。
さすがMさん。大切な友人です。名前と職業は…想像してみてください。

取材・記事 / 小坂 真里栄(ライター)


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