海士町の自然、食材、仲間。すべてがチームとなって届ける学校給食
昭和57年4月から始まった海士町の学校給食。海士中学校に隣接された海士町学校給食共同調理場(以下 海士町給食センター)から、出来立てほやほやの給食を小中学校に届けています。
海士町の学校給食は、小学校2校、中学校1校 約220食提供されています。栄養満点!ボリューム満点!の学校給食。海士町の給食の取り組みや想いをお聞きするべく、海士町給食センター栄養士の小田川さんにお話を伺いました。
給食には物語がある
給食はどこか特別で、大人になっても話題になるもの。小田川さんは、この学校給食を通して「いつか大人になったときに食の大切さに気付いてほしい。」と願いを込めているそうです。
「食」は、1、2年という短い期間ではなく、長い年月をかけて身体が作られていく。料理も自分で作る機会が少ない分、大変さも工夫も感じづらい。家庭によっても「食」への関心はそれぞれだと思います。
ーそんな中、小田川さんはどのような想いで給食を作られていますか?
小田川さん:「食にこだわりのある人も、そうでない人も、絶対にみんなが毎日食事をしています。
その中で、給食は1日の食事の3分の1をまかなっていて、この1回の給食からも身体が作られている。そう思うと、1日の中のたった1食だけど、そこに想いを伝えたいなと思っています。」
給食は1日の食事の3分の1を占めている。だからこそ、何種類もの野菜をバランスよく使用してメニューが決められています。
2月14日の給食はこちら。海士町給食センターに訪れ、私ははじめて海士町の給食をいただきました。(給食は約10年ぶり!)
各学校では、給食とともに届けられる「今日のおたより」でも、今日の給食テーマや献立の意図、海士町産の食材を知ることができます。
給食には、できる限り海士町産の食材を使用するようにしているそうで、大根は○○地区の○○さんが作ったものなど、生産者さんがわかるように記されていました。
ー給食メニューを考えるうえでどんなことを意識されていますか?
小田川さん:「イベントや食の記念日を活用したり、学校行事に合わせたメニューを作るなど、物語を作りながらメニューを考えるようにしています。受験を応援するメニューや、中秋の名月など日本の習慣を表したメニューは、特に作り手の心が見えやすいのかなと思います。」
給食を通じて、日本や海士町の文化、世界の風習などを知ることができ、今日はどういった日なのか、身近に感じてもらえる一つのきっかけになっているのではないでしょうか。
海士町の学校給食メニューをご紹介
イベントや食の記念日、学校行事に合わせてつくられた学校給食をいくつかご紹介します。
すべて海士町産でつくられた「おにぎり」メニュー
海・山・田畑のある海士町は、おにぎりを作るために必要な材料がすべて島内にあります。海士町で作られている「海士乃塩」と「お米」、海士町で採れる天然岩のりを使った、シンプルですがとっても贅沢なおにぎり。学校給食記念日に登場しました。このおにぎりメニューの給食は毎年恒例になっているそうです。
海士町で初めての給食メニュー
昭和57年にスタートした海士町の学校給食を記念し、海士町ではじめて出された給食メニュー『さばのみそ煮』を中心に、海士町の郷土料理を提供されていました。
世界の料理「トリニダード・トバゴ」メニュー
『世界の料理』をテーマに、昨年末から海士町にALTとして来られた先生の出身国「トリニダード・トバゴ」の料理を提供されました。色々な食文化を知って触れてみてほしい、との思いがこもっています。
その日は、子どもたちにより深く食文化を知ってもらうためにALTの先生のインタビュー動画を作成し、給食の前後の時間で観てもらったそうです。
後鳥羽院遷幸800年記念メニュー
海士町にご遷幸された後鳥羽上皇がお過ごしになった日々の中で、どういったものを口にされてきたのか、歴史の書物を見たり、聞きながらこの献立ができたそうです。
また、少しでも小中学生に今日の給食の想いを伝えたいことから、海士町教育委員会さんに協力してもらい後鳥羽上皇やメニューを紹介するリーフレットを作成し、給食とともに添えられました。
海士産weekメニュー
海士産weekでは、10品以上の海士産の食材を使ったり、昔からある海士町の思い出深い食べ物などがメニューになっています。
11月の海士産weekでは、海士町の定置網で獲れたカジキマグロを取り入れたメニューを提供。漁協さんと連携を取りながら、海士町の給食ができていました。
ー地産地消について教えてください。
小田川さん:「毎年行われる島根県による調査で、海士町は食材に占める県内産品使用率が最も高く、うれしく思います。でも、これは1つの調査の結果であって、そこに引っ張られたくないと思っています。
本当の地産地消は、年間を通して高い使用率で地産地消をすることが大切で、海士町では季節によって野菜がないことももちろんあって。すべてを地産地消することはできないので、その分給食に想いを込めたいなと思っています。」
土台である、海士町の食材、人、自然、仲間。すべての方に助けられながら給食を作ることができていると話す小田川さん。
生産者さん、事業所の方など、チームに支えられてカタチになっていることに感謝したい、証明したい、そのような思いで地産地消を心掛けているそうです。
記憶に残る学校給食にしたい
小田川さん:「給食にはできるだけ物語を作って、生徒に届けたいと思っています。生産者の方も、加工場の方も、たくさんの方に支えられて給食ができている。
たくさん想いはあるけど、それが自己満足になっちゃいけないし、もちろん課題もいっぱいあって、ちゃんと伝えていかなければいけないと思っています。」
小田川さんは、海士町学校給食共同調理場のFacebookを更新されており、そちらから海士町の給食献立を知ることができます。
SNSを利用する前はブログで更新しており、約15年以上もの間、毎日の給食を発信してきたそうです!投稿では、その日の献立やメニューのエピソードが書かれていました。
給食を発信し続けることで、海士町を取材してくださる方に巡り合えたり、給食に関する連載をすることになったり、保護者のみなさんや、卒業生など、いろんな方が見てくれているとのこと。
小田川さん:「小中学生の時には見えない想いかもしれないけれど、卒業したり大人になっていくにつれて、給食がどのような存在であるのか。
「食」に対する意識は給食だけでなく、保護者の方や生産者の方など、いろんな大人が想いを持って実践していることも分かっていてほしい。これからも記憶に残る学校給食を残していきたいと思います。」
海士町の給食が大好きだったことがきっかけで栄養士を志した小田川さん。長い間食べ続けられたからこそ、想いの込められた学校給食が作られていました。