後鳥羽上皇の絵本出版に向けた会議を行いました
承久の乱の後、海士町にご配流された後鳥羽上皇は、梅雨の時期にこんな歌を詠んだそうです。雨が続くと、心もなんとなく晴れないのは、昔も今も変わりませんね。
こんにちは。大人の島体験生として教育委員会でインターン中の名取彩雲です。5月下旬、後鳥羽上皇の絵本出版に向けた会議が行われました。
「島本」(しまぼん)をつくる会
2021年春、「島本」をつくる会が発足しました。
この会は、隠岐で「ごとばんさん」と呼ばれて親しまれている後鳥羽上皇の生涯を絵本にするためのプロジェクトです。
代表を務めるのは、後鳥羽上皇を祀る隠岐神社の村尾茂樹さんです。「絵本・後鳥羽上皇物語」の制作のため、文章を教育委員会の学芸員水谷憲二さん、挿絵を後鳥羽員資料館の榊原有紀さんが担当し、10名以上の方が関わりながら進めています。
話し合ったこと
今後のスケジュールを確認した後、現在のラフ画や文章、フォント案を改良するための意見交換が行われました。この絵本は、海士町内の小学校で副教材として活用することも検討されているため、誰もが読みやすく、学校の先生方が使いやすい本であることが求められています。
今日のひとコマ
発信者から:あもメモ
この島ほど歴史上の人を身近に感じる島は、なかなかないのではないだろうか。海士町に来て、後鳥羽上皇があらゆる場面で登場し、そう思います。
日本史の教科書では、「1221年後鳥羽法皇は隠岐に流される」という記述で、歴史の舞台から消えてしまう後鳥羽上皇。
しかし海士町の子どもたちは、資料館や隠岐神社、そして今制作中の絵本など、その後この海士で続いた後鳥羽上皇の人生を知る機会がたくさんあると思うと、なんだか贅沢ですね。
教科書を読み、後鳥羽上皇に関する記述の少なさに「たったこれだけ…?」と悔しさを覚えるかもしれません。海士町に来た頃、海士町に流されたのは後鳥羽上皇と後醍醐天皇(同じ隠岐島前の西ノ島に配流)、どちらだったかな、と混乱していた私でさえ、今は後鳥羽上皇にすっかり親しみを感じるようになりました。
私は、もうすぐこの島を離れる身。人々の後鳥羽上皇を愛する熱い思いが込められたこの絵本が、この遠島(海士町)で完成する日を、首を長くして待っています。