地域の熱い思いに共感、通学路開通へ
海士町はJICA(独立行政法人国際協力機構)と提携を結んでおり、JICA海外協力隊の派遣前の任意訓練、グローカルプログラムの受け入れ先となっています。JICA海外協力隊とは開発途上国に2年間派遣され、現地でそれぞれの専門性を生かしながら地域の発展を目指すものです。
グローカルプログラムについて詳しくはこちら!
今回の記事は牧野さんのインタビューです!
社会人生活を経て、地域に
ーどうしてJICA海外協力隊に応募したのですか?
牧野さん:
前職で働いた量だと日本一だと言えるほど仕事人間でした。10年ちょっとくらい働いて、自分はいったい何をやっているんだ、何のために仕事をしてるんだ。そういう状況に陥ったんですよ。なにかもっと面白いことが世の中にはあるんじゃないのと思いまして。そんでいろいろほんとにまじめに探して、紆余曲折あり、今があります。地域で暮らすことに興味がありまして、最初は「地域おこし協力隊」に行くぞ〜と思っていました。けど調べるうちに、なかにはちょこちょこJICA海外協力隊の後に地域おこし協力隊になる人がいて「へええ。そういう人もいるんだなあ。」と思って。地域おこし協力隊とJICA海外協力隊どっちも行きたい気持ちが出てきてたんです。とりあえずJICA海外協力隊に応募を決めました。
海士町に惹かれて
ーグローカルプログラムについては知っていましたか?
どうして海士町に来たのでしょうか?
牧野さん:
実はグローカルプログラムは知らなかったんです。協力隊の合格通知と一緒に届いた案内で知りました。仕事辞めて時間あるし、そもそも地域に興味あったので食い入るように案内を眺めていると、候補地がいくつか出てきて、その中に「海士町」って記載があったんです。海士町は地域おこし協力隊のことを調べているとすごいよく出てきて前々から存在は知っていたんです。けど、実際にはどんな場所かは分からない。これは海士町に行くしかないと決めました。
短い期間で自分にできることを
ー海士町での活動について教えてください!
牧野さん:
海士町に来てIターンの人多いんだなと感じました。イベントなどもたくさんあり、町が活気づいていました。僕は少し潜ったところで海士町について知りたいと思い、Iターンの人よりは地元生粋の人と一緒に活動したいなと漠然と思っていました。そして、今の自分に三か月という短い期間で何が出来るだろうといろいろ考えました。考えた結果、身体を動かすことが好きなので身体を使って海士町で活動できればいいなと思い、日須賀地区の昔使われていた通学路復活プロジェクトに携わることを決めました。
ーひたすら竹を切ったり運んだりする作業で、大変そうだなとみていたのですが、実際やってみてどうでした?
牧野さん:
前職が建築関係だったんで、道を切り開く、広場をこう上手いこと切り開くっていうのが楽しくて仕方なかったです。ノスタルジーなところもありまして、昔通学路に畑だったところがあったそうで、石でできた土の流れ止めとかがありまして。僕そういうのも大好きで、何なら石積みなおそうかなとか考えていました笑。より見栄えを良く、綺麗な感じで人を引き付けるような場所にしたくて、そういう思いで活動していました。多分性に合ってたんだと思います。
地域での暮らし
ー島民の方からも「2年後戻ってきなさいね!」と言われていたのが印象的ですが、海外協力隊後の選択肢に海士はいかがですか?
牧野さん:
海士町みたいな地域で暮らしたいなと思います。必ずしも人口が多ければ、にぎわうとかとが町が活性化していることではないなと海士町に来て思いました。学校に一日行かせてもらったことがあって、もちろん離島の学校なんで生徒の数は少ない、けど全国共通で授業時間の45分じゃないですか?ってことは一人一人に振られる時間が多い、無意識にそういう差もあるんかなーってくらい生徒たちがもりもりしていて。日々の生活で少ないなら少ないなりの良さも身に染みて感じました。いい町でしたよ、研修っていう意味においては良すぎた、多分研修にならんかったんじゃないかってくらい海士町、離島を楽しめたなと思いますね。
現地で地域の仲間になれるように
ー任国での活動への意気込みを教えてください!
牧野さん:
僕は、海士町のなかでも日須賀地区というさらに小さいコミュニティのなかでの活動で直接人と関わるものではなかったけど、多くの方に声をかけていただき、イベントに参加したり、島を離れる日には多くの地区の方々が見送りに駆けつけてくれたことが、地区のユニフォームまで貰えた本当に嬉しくて。どんなことでも一生懸命に活動を続けていたらいいこともあるな〜。と思いますね。スリランカでも言葉の壁はありますが、一生懸命に働けばいいことが待ってるんじゃないかと思ってます!
日須賀地区の宮岡さんから
ー牧野さんがきていかがでしたか?
宮岡さん:
僕らが草刈り機で刈った草や竹をせっせと運んだり、のこぎりで竹を切ったりと精力的に活動してくれました。
日須賀の通学路の活動だけでなく、自転車で崎地区まで行って梅のお手伝いをしたり、梅のお手伝いが早く終わったら日須賀の作業をして帰るということをやっていました。町内を何十週もしてたんじゃないかな。最後は真っ黒になって帰っていきました。牧野君が作業するときは、日須賀の空いている人が一緒に作業していました。彼は寡黙な男だけど、黙々と作業を楽しんでやる。与えられた仕事に情熱をもって取り組んでくれました。自転車で崎まで行ったりして本当によく頑張ってくれました。感謝しています。
ー牧野さんは日須賀地区に溶け込んでいる印象でした
宮岡さん:
そうですね。区長さんとお昼ご飯を一緒に食べたり、私たちもお茶会だったり、たこ焼きパーティーしたりしました。海の幸が大好きとのことで、海鮮バーベキューもしました。日須賀のみんなと仲良くなりましたね。任期の2年終わって帰ってくるならいつでも大歓迎です。
あとがき
持ち前の明るさで場を盛り上げる牧野さん。日須賀地区にすっかり馴染んでいました。スリランカではサッカーの指導をするそうです。牧野さんと日須賀地区の方々が開通した通学路、皆様ぜひ一度歩いてみてください!虫刺されにはご注意を!
牧野さんの活動がこちらのニュースでも取り上げられています!
文・大橋拓真