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正解がないからおもしろい。音楽界から海の世界へ飛び込んだ理由【海士町 大敷網漁師 浜口夏生さん】

7月といえば七夕。
そんな季節の風習に親しむ「七夕野外演奏会」がゲストハウス「たちばな」にて行われました。
noteスタッフも季節の気分を味わいに、いってきました✨

今回のゲストは、2022年1月に海士町に移住した、浜口夏生さん。
音楽大学を卒業され、現在の職業は崎地区にある大敷網(定置網)の漁師さんなんです。

ピアノの世界からIT企業を経て、漁師へ。そんな経歴をもつ浜口さんにこれまでのお話しを伺いました。



3歳からはじめたピアノ、続けることへの違和感。

浜口さん:
母親がピアノの講師ということもあり、3歳の頃からピアノを習っていました。
当時はコンクールで賞をとると周りがすごく褒めてくれたんです。
母親が褒めてくれる、ご褒美がもらえる。
そういう理由で頑張っていましたね(笑)

浜口夏生さん
演奏会の前に、浜口さんとのお茶会と題して、
これまでの生い立ちを話されていました。

浜口さん:
小学4年生のときに、本格的に音楽の道に進もうと、音大を卒業した先生のもとで、クラシックを弾くようになりました。
歯磨きやお風呂みたいに毎日ピアノを弾くのがあたりまえ。
そんな生活をずっと続けていました。

親も褒めてくれるから「自分、結構才能あるんじゃない」と思いながらずっと生きてきたんですよ。
高校でも1番をキープしていて、大学は音大に進学しました。

音大に入学したら、周りの音楽に対する熱意がすごくて。
学食で楽譜を開いている子、歌を歌っている子、アルバイトでお金を貯めてコンサートでプロの演奏を聴きに行く子、そういう子たちがいる中で、私は先生に言われたことしかやらなくて。

そんな場面をみてきて、「多分私はピアノが好きじゃないんだな」と思いました。


大学院に進学するも、親には内緒ではじめた就活。

浜口さん:
一般企業に就職しようと思っていたのですが、「あなたはもうちょっとで飛び出るから」と大学の先生も持ち上げるのが上手で、結果、大学院まで行ってしまったんです。

あたりまえですけど、音大の大学院ですから、意識が高い人しかいない。
「もうダメだ」と半年後には親に内緒で就職活動をはじめて、勝手に内定をもらいました。
内定承諾書をもらったタイミングで親に「報告があります」といいましたね。

浜口さん:
親は頭ごなしに否定もしないけど、肯定もしない。
祖父は「他の子なら自分の意志で将来を決めて偉いじゃないかって褒めてあげたいけど、いざ自分の孫となると『偉い!次の道も頑張れ!』とすぐには切り替えられないなあ...」と正直に話してくれました。

ですが、私が突発的な行動を起こす性格なのは親も重々承知のうえだったのか、両親も祖父母も私が決めたことに対して否定せず、割と応援してくれて。

大学院をやめたあとは、IT企業で事務系の仕事をしていました。


1つの動画がきっかけで海士町へ

浜口さん:
ですが、コロナ渦で仕事はリモートワークばかりになっていて。
その時にYouTubeなどインターネットの動画を見ていたら、たまたま離島で漁師をやっている方の動画に辿り着きました。

その方は素潜り漁師さんで、自分で魚を捌いて食べたり、近所の方に野菜をもらったり、お家も自分でリフォームするような動画を上げていて、「漁師の仕事ってかっこいいな」と離島にすごく憧れを持ちました。

気づいたら「離島・漁師」と調べていたんです。

浜口さん:
そうしたら1番最初に出てきた場所が海士町で、応募したら内定合格をいただき、移住を決めました。

親には地図で海士町の場所を示して「2回目の報告です」といいましたね。

今回は驚きというよりかは、地元の茨城県から離れてしまうので頻繁に会えないことが寂しいという気持ちの方が上だったみたいです。
でも、だんだん現実を受け入れてくれたみたいで、「いいんじゃない」とあたたかく送り出してくれました。


大敷網漁師としての仕事

浜口さん:
大敷網の仕事では、魚を獲るのが2割、メンテナンスが8割ぐらいです。
魚を獲るのが漁師という感じがしますけど、そこまでの準備がすごく大変なんです。

漁が終わったあとも、作業はつづきます。

たとえば、網のメンテナンス。
網に汚れが付いたままだと、網目が塞がれて魚が入らなくなったり破損の恐れがあるので、定期的に洗って、網が破れていないかチェックしています。
破れがあれば、もちろん修理もします。

網だけではなく、網を取り付けている”側張りがわばり”のメンテナンスも。建物でいうと、鉄骨部分のような土台にあたります。
これ以外にも作業は多く、1日中沖にいることもよくありますね。

浜口さん:
漁師としてはたらくことにもちろん不安もありましたが、それよりも仕事を覚えることに精一杯でした。
「やっぱり女はダメだ」と思われるのが怖くて。

ですが、男性社会のなかに女性が入る時点で、誰でもできる仕事や、事務仕事ばかりで力仕事をしないとなると「あの子は何もしない子」と思われてしまう。そういうことを、大敷網の漁労長は理解してくれていて。

なので入った直後から、全部体力を使う仕事に配置してくれました。
おかげでもう少しで2年が経ちますが、「女性だからダメだ」みたいなこともなく働かせていただけています。
従業員のみなさんが受け入れてくれる環境だったのも大きかったですね。

「私は愛されて育ってきた」応援してくれる両親

浜口さん:
しかし、漁師として働いていると、「頑張ってるね」と肯定的な言葉をいただくこともあれば、「女なのに漁師なんて」という声を聞くこともあって。それは分かるんです。男性の職場に女性が入るのは異色なものだと思うので。

一方で、「私が親だったら許せないな」「親不孝だ」みたいなことを言われたことがあったときは「私の親をなめるんじゃないよ、私の親に対して失礼でしょ!」って正直思いましたね。

私の両親は、自分の子どもがやりたいことを理解して送り出してくれて、漁の話をするとよろこんでくれたり、今回のイベントのように海士町のみなさんの前でピアノの演奏を楽しんでもらえていることに「すごくうれしい!」と言ってくれるんです。

漁師の仕事着「カッパ」を見につけて演奏
地元の方も訪れ、大盛況の演奏会です。

浜口さん:
海士町に来てからも、両親との仲は一切悪くなっていません。
「今日はこんな魚が獲れたよ」と近況の動画を送ったりするときもあって。 
今となっては、私に関する記事が出ると父親が誰よりも早く情報をキャッチするんです(笑)
テレビに出ると言ったら、全部録画して、私が出ているシーンを写真に撮って、送ってくれたりもして。

海士町のピアノ連弾ユニット「ニアピン姉妹」
大好きな連弾のサプライズも

浜口さん:
周りの方からすれば、「親はどんな気持ちなんだろう?」と疑問に思われるのも分かりますが、私の両親は、本来はピアニストになってほしかったという理想はあったけれども、娘が選んだ道を一切否定せず、「自分の人生だからやってみれば」と応援してくれて、認めてくれているそんな両親です。
だから周りからなんと言われようが、心の中で「私の両親なめるなよ」といい続けています。

季節にちなんだ夏ソングを披露!
素敵なピアノの音色が鳴り響きました


正解がない世界がおもしろい

浜口さん:
今年、大敷では漁場を拡大し、新しい網を入れたんです。
みんなで協力して仕立てた網にたくさんの魚が入っている様子が感動的で。あわせて、漁獲量とか水揚げ金額につながっているのをみると、新しい網の効果を実感することができました。
魚を獲るために仕掛けたことがちゃんと結果に結びつく。
それが1番のやりがいですね。

浜口さん:
おかげさまで今年は6月時点で昨年の売り上げを超えてしまうほど大漁。
名古屋(愛知県)のお寿司屋さんに魚を卸したり、未利用魚を本土に出荷したりと、新しい取り組みにも挑戦しています。

特に、水揚げされているのがイカなんです。
年々減っているはずなのに今、すごく獲れていて。
新しい網の効果なのか、入ってくる魚も変わってきています。

私は、イサキの刺身がおすすめですね(笑)

演奏会のあとは、大敷で獲れた新鮮な魚の販売も

浜口さん:
海士町での生活は本当に人に恵まれています。
海士町のみなさんがすごく可愛がってくださって、よそ者だといわれることもなく、全員が優しく見守ってくれる島です。

大切な地元の方に大敷の魚が届けられました

浜口さん:
10年はたらいている人でもいまだに分からない世界。
いろんな経験を積んで、知識とか技量がある人も口をそろえて「やればやるほど、海のことはわからん」と言うんです。

昨日と同じことをやっても、天気によって漁獲量が変わったり、季節によってやり方をかえてみたり、毎回違ったおもしろさがあります。

だから何十年やってもきっと分からないだろうし、今できる仕事や漁のさらに細かい部分を今後も追究していきたいですね。



ーー浜口さん、ありがとうございました。

夏の暑さを吹き飛ばす涼しげな名曲とともに、来場された方のリクエストに答えた、楽譜なしのクラシックも圧巻でした。

イベント終了後の会話では「定置の仕事が面白すぎて」と、にこやかに話してくれた浜口さん。

周りの環境やあたたかく送り出してくれた家族の理解が大きかったからこその言葉なのかもしれません。

今後も浜口さんの持ち味である探求心を仕事や音楽で存分に発揮していただきたいです。


(海士町note担当:渋谷)



島との距離は離れても、気持ちはいつも近くに