若い頃はひたすら試練。40代で「解き放たれた」!?
中里地区から西地区へ向かう道沿いに建つ、クールな外観の建物。
周りは田んぼだらけのいわゆる“田舎の風景”ですが…だからこそ、思わず目を奪われます。
さわやかなライトブルーでデザインされたお洒落なロゴの隣には「YUDEN」の文字。
ここは、水道や空調設備の施工を行う地元企業、株式会社ゆうでんの事務所です。
「カッコいいだら?イメージは大事だけんな!海士町にもイケとる会社があるぞって、毎日ここを通る海士中学生たちにマインドコントロールをかけとるだわい!」
そう言ってニヤリと笑う、社長の波多誠さん。
移住したてのIターン者には「ちょっと(怖そうで)話しかけづらい…」と誤解されることも多いそうですが、実は陽気でとってもユーモラス。喋りも歌も上手い、いわゆる“島のイケオジ”の一人に数えてもよろしいかと。「島の人はみんな、俺がマジメに事務しとる姿なんて想像できんやろ~」と本人は言いますが、れっきとした経営者です。
海士町出身で、電化製品を販売する電気屋さんの次男坊として誕生。幼い頃から勉強するよりも身体を動かすほうが好きだった波多さんは、「技術を身につけて職人になろう」と決めて県立松江工業高校(松江市)に進学しました。
高校卒業後は本土で就職するつもりでしたが、予想だにしなかった展開が…。
「まさか卒業してすぐ18歳でUターンすることになるとは夢にも思わんかったけどな。実家の電気屋が大変で、いわゆる即戦力として呼び戻されました。俺を働かせたかった親父の作戦にまんまとハマったというか(苦笑)」
蓋を開けてみれば家業の経営は想像以上に厳しい状態。父親とはお金や事業に対する考え方が違いすぎて相容れず、それでも腐らずに粛々と働けど働けど、好転する兆しは見えず…。30代も半ばに近づく頃、波多さんはついに決断を下します。
「納得できない状況でも我慢してがむしゃらに働くのはもう十分かなと。従業員もいるし、会社を駄目にして路頭に迷わせるわけにはいかない。なりゆきのままでは何も変わらない、だから自分がすべてを背負う覚悟で経営者になろうと決めました。」
そんな鬼気迫る覚悟で、2010年、個人事業だった家業を株式会社化。代表取締役になった波多さんは当時34歳。島民に浸透していた「ゆうでん」の社名はそのまま残し、家屋や施設のエアコン工事や水道まわりの整備、修理等を行う「株式会社ゆうでん」として新たなスタートを切りました。
それから約10年。夢にまで見た債務の完済と、次のステージへと進む時が訪れます。
「大袈裟じゃなく、呪縛から解き放たれたような気持ちだった。今思うとよく頑張れたな~と思うほどの黒歴史なんだけど(笑)必死で働いてきたおかげで経営も安定してきたし、心機一転、新しい社屋を建てることにしました」
カッコいいことは大事。なぜなら…
2019年春、新社屋が完成して事務所を移転。まさに大きな節目です。
島の同級生の大工さんに施工を依頼し、建物の外観はバッチリ。さらに波多さんは、これを機にゆうでんのCI(=コーポートアイデンティティ。企業理念やビジョンを確立して効果的に発信していく戦略)に本気で取り組もうと、島在住のデザイナーである南貴博さん(「ミナミデザイン」代表。東京からのIターン)の力を借りることにしました。
ロゴを考案するためにヒアリングを重ねた南さんは、それまで必死に働いてきた波多さんの積年の想いや、自分たちらしい会社にして島を盛り上げていきたいという決意を感じてすっかり胸熱。チームゆうでんの核となるキーワードは『男らしさと遊び心』だととらえ、強さと軽やかさを感じさせる絶妙なデザインを仕上げました。
デザイナーにCIを発注するには相応の費用がかかります。高いコストをかけてでもイメージづくりにこだわった理由は、「次の世代のためだわい!」とのこと。
「子どもたちにカッコいい大人の姿を見せておかないと、将来は自分も島で働きたいって思わんだろ。俺は親父に騙されて帰ってきたけど、そんなんじゃなくて、自分もあんな大人たちみたいに島でカッコよく働きたい!って思わせるように、俺ら世代が頑張らんといけん。次の世代が島に残ってくれんかったら結局みんなが困るんだから」
自分も地域経済のプレイヤー。島の未来が“自分ごと”に
この島の何が好きなのか。島に残したいもの、残すべきものは何か。
それらを繋いでいくために、自分には何ができるか。未来を託す後継者を増やすには、どうしたらいいかー
それらの問いに正面から向き合い、次世代に思いを馳せるようになったのには、きっかけがありました。2015年に立ち上がった「明日の海士をつくる会」、通称「あすあま」です。
あすあまとは、「まち・ひと・しごと」創生総合戦略の策定と実現を目指すために結成された住民参加の会議です。
波多さんは、隠岐國商工会青年部の仲間たちに誘われてあすあまに参加。観光や福祉、教育、漁業、農業、建設業や飲食業といった多様な分野の民間の有志らと役場職員が一緒に、島のありたい未来について何度も議論を重ねました。
「いつの間にやら引っ張り込まれて入ったみたいなもんだから、最初は話を聞いてても何のことだかサッパリ分からん。レジリエンスとか、カタカナの知らない用語が多くて理解不能やったもんね(笑)ワークショップも苦手で、付箋に何か書いてペタペタ貼っていく作業が全然できなくて。でも俺は、書けねえぶん喋りますよって。とにかくいろいろ喋って、話し合っているうちに分かってきたんだよね、『地域内経済循環』ってことが。俺もそれを回すプレイヤーなんだなって分かって、初めて島の経済の土俵に上がれた気がしたな」
自分や自社のアクションが巡り巡って海士町のためになる。そんな“循環”を意識したり、島に昔からある工場や、地域の伝統など、なりゆきに任せたら失われてしまいそうな“大事なもの”を守るために「今、手を打たねば」と感じられるアンテナを立てるようになりました。
そのような波多さんの変化を見て、あすあまのアドバイザーである枝廣淳子さん(東京都市大学教授)から、「あなたが一番成長したわね」と褒められたこともあったそうです。
ごんた、ウエルカム!
若者が働きたいと思うような魅力的な会社であるために、「都会では出来ないことで勝負だ!」というのがゆうでん社長のポリシー。
それは業務内容というよりは働き方や暮らし方の話。例えば、その日のすべての仕事が15時に終わったら、あとは海へ釣りに行ってもいいしラジコンで遊んでてもいい。仕事を一生懸命頑張るのは当たり前。それ以外の時間は、島ならではの良いところをちゃんと味わうこと。
「カッコいいイメージだけでは駄目で、技術がしっかりしていることと、やっぱり働き方。自分たちが生き生きと毎日を楽しんでいることが何より大事でしょ。頑張り過ぎて燃え尽きちゃってもアウトだし、会社を楽しむためには何が必要かをずっと探し続けてます。非効率とか無駄とか言われようが、俺たちは敢えて遊ぶ。そのほうが頭が健全でいられるからね。ちなみに倉庫の2階には瞑想ルームもあるよ(笑)」
会社にどんな人材が欲しいかを聞くと、「ごんた!」と即答。
ごんたとは、やんちゃな負けず嫌いのことです。
「ごんたは意地があっけんな。現場の仕事はメンタルの強さが必要で、それがないとコミュニケーションがうまくいかん。知識や技術はいつからでも身につくけど、意地を後から養うのは難しい。根性だけで生きてきました!っていう負けず嫌いがサイコーやね。あと、プラモデル好きな人だとなおいいね(笑)」
波多さん自身、筋金入りのごんたとしてしぶとく生き抜いてきた人。逆境に揉まれ濁流に流されているようで、沈まず、意地という棹を差して自分らしい人生を生ききろうと、明るく前進し続けています。
ゆうでんは、島のライフラインを守るだけでなく、“カッコいい海士人”を見せつけてくれるオンリーワンな会社としてこれからも着実に成長していくはず。
我こそはという筋金入りのごんたよ、来たれ!
【書き手よりひとこと】
島の良きものを愛し、“今ここ”を面白がって生きていく姿勢はまさに「ないものはない」海士人の鑑ですね~と波多さんに言ったところ、「ないものはない?そげなもん、言語化なんかできへんだら。まぁ島に住みゃあ分かっだわい!(ニヤリ)」
答えは現場で感じ取れ、というのが社長の教えです。
(written by:小坂まりえ/フリーランスライター)