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“島の宝”を活かす。ふくぎ、そして人材。

島で昔から当たり前だった食文化に、“よそ者”、すなわちIターン者の視点で光を当てて商品化する。そんなプロセスから生まれた海士町の特産品として「さざえカレー」が有名ですが、もうひとつ忘れてはならないものがあります。島のハーブティ「ふくぎ茶」です。

ふくぎとは、クスノキ科の落葉低木樹であるクロモジのことで、和菓子の爪楊枝(黒文字)として使われている植物。4月頃から山で咲く淡い黄色の花は、碧さを増し始める春の日本海をバックによく映えます。

“現場のプロ”であればいい 

 ふくぎ茶を作るのは手間のかかる繊細な作業ですが、収穫から葉と枝の分類、検品まですべてを行っているのは、中里地区に作業場を構える「さくらの家」。島内の障がい者の就労継続支援B型事業所で、現在23名が利用しています(2022年3月)。

そのさくらの家の所長であり、いつも大きな笑顔で和やかな空気をつくりだしているのが、本多美智子さん(西ノ島町出身)。メンバーたちの良き相談相手・お喋り相手であり、優しいだけでなく時にはビシッと喝を入れてくれる、頼れるお姉さん的存在です。

まさにムードメーカー。さくらというよりひまわりのような、周りを明るくする笑顔がトレードマーク。


本多さんは現在、島の障がい者福祉を支える柱の一人ですが、福祉の世界に入ったのは30代半ばのこと。若い頃は、本土の専門学校で身につけた和裁の腕前を活かし、和服の仕立てや販売の仕事をしていました。その後Uターンして海士町で結婚し、育児が一段落した頃に指導員としてさくらの家へ。

「福祉の経験なんてぜーんぜん無くてね、精神保健福祉士のような国家資格も無いし、ほんとに無い無い尽くし(笑)。それでも真剣に取り組んでいるうちに、福祉って現場を踏むことが一番なんだなって分かってきました。所長になった頃も、私で大丈夫かな?って一瞬不安になったりしたけど…『障がいのある方が特別なわけじゃない。結局、人・対・人なんだ』と思ったら気持ちが楽になった。いつも現場にいて、一人ひとりにしっかり向き合って、相談やサポートを積み重ねていけばきっと大丈夫だって思えた。そもそも、専門性や知識だけでどうにかなる分野じゃないしね」

分からなければ誰かに聞けばいい。そもそも自分ひとりで出来ることじゃない。やれることを積み重ねればOK!そんな割り切りと、気負いすぎない“高め安定”の適度なテンション。本多さんを支えたのは、「本当に必要なものは現場で学べるはず」という信念でした。

 

“島の宝”を活かす。ふくぎ、そして人材

本多さんは、ふくぎ茶の商品化にもゼロから関わっています。

ふくぎは昔から隠岐の各島に多く自生しており、暮らしの中でもポピュラーな存在でした。胃の病気に良いと言い伝えられ(※クロモジには抗菌作用や消炎作用、また胃腸の不調を緩和する効果があるとして現在も研究が進められています)、近所の山で枝を採ってきて煮出して飲んだり、胃の調子が悪い牛に飲ませたりするのが当たり前だったそうです。

そのふくぎを、海士ならではのお茶として正式に商品化しようと考えたのは、大分県からIターンしていた“ごっつ”こと、後藤隆志さんでした。

「ごっつは当時、商品開発研修生として“島の宝探し”に取り組んでいました。島で暮らす中でふくぎに出会い、これは価値があるものだと直感したんでしょうね。ぜひ商品化しようと、しかも製造をさくらの家でやろうと提案してくれました。その頃ちょうどさくらの家では、自分たちの収入を増やすために何かを作る事業を始めようと考えていたので、思い切ってふくぎ茶にチャレンジしてみるか!と。…ただ、やる気はあっても予算は無いし、商品開発なんて素人同然でノウハウも前例も無いんです。…あら、また無い無い尽くしですね(笑)」

どうしたら、メンバーたちに無理なく、安心・安全で美味しいふくぎ茶を作れるか。山での収穫から検品・出荷までの工程を細かく検討し、葉や枝をどう処理したらいいか、どんな配合にしたら美味しいお茶になるかを、ごっつやさくらのメンバーたちと徹底的に研究しました。

葉と枝を分けた後に、枝は太さによってさらに細かく分類。葉は天日で乾燥させた後に粉砕機で粉末にします。各工程で丁寧に検品。パッケージに詰める前にもダメ押しの検品。細かな手作業の連続で、ふくぎ茶が出来上がるのです。

さくらのメンバーたちが作業する工房がある建物。ふくぎ茶はここで作られます。
枝は太さによって選り分けます。
黙々と作業するさくらのメンバー、けんちゃん。


試行錯誤の末、これぞ島の特産品!と胸を張れるほど高いクオリティのお茶が完成しました。そのラインナップは、枝を煮出す木茶(もくちゃ)、急須で楽しめる葉っぱのお茶、お手軽なティーバッグ(木茶を加工する際に出た微粉末と葉の微粉末を混ぜたもの)、そして最も香り高い花茶(はなちゃ)。いずれも美しい色と、爽やかでス~ッとする清涼感のある香りが特徴。島で初めて飲んで「こんなお茶は他にない!」と驚き、ファンになる人も多いのです。
 

2010年度からは入浴剤「ふくぎの湯」も発売。清々しい香りでリフレッシュできます。
木茶は特に赤みがかった色が濃く出ます。アイスでも美味しいので夏にオススメ。


2007年から製造販売を始め、今年で15年目。海士町の定番みやげとして定着しただけでなく、販売店は県内外でじわじわと増加。温泉観光地の有名旅館でも使われるなど、島のストーリーを含めた唯一無二の味わいに、ふくぎ茶ファンは広がり続けています。

「応援してくださる方のご縁で販路が増えて、ふくぎ茶は海士町ブランドの一つとして立派に育ちました。ふくぎ茶が売れ続けることでさくらのメンバーたちの収入が安定しただけでなく、自分たちが島の特産品を作っているんだという誇りと働きがいが生まれたことが何より嬉しい。彼らは加工も検品も、とても丁寧にやります。生活のリズムが整って、心も身体も元気になれました。小学生らが見学や体験に来るようになったから交流も増えましたしね。メンバーはもともと陽気な人が多いけど、よりいっそうみんなの毎日が明るく、さくらの家の居心地が良くなった感じ。そういうのって、お茶の味にも影響するんじゃないかな」

ふくぎ茶が広まったことで、海士町にはふくぎという“島の宝”があることを発信できるようになりました。と同時にふくぎ茶は、さくらのメンバーのものづくり人材としての魅力、さくらの家の存在価値を見える化したとも言えそうです。

山での収穫シーズンは6月から10月。採り過ぎないよう配慮もしています。


サポート役こそ自分の使命

ふくぎ茶の事業が軌道に乗り出してからは、本多さんは製造現場から少し離れ、相談支援専門員(=障がい者やその家族に対して必要なサポートをコーディネートする人)の仕事も行っています。また併行して、ファシリテーターとしてのスキルを学び続けているそうです。

「県が実施しているファシリテーション研修を受けてみて、その重要性に気づきました。会議の全体を見て流れをとらえるスキルはどんな小さな会議でも活かせますね。ふくぎ茶づくりの周辺には数多くの会議があって、いろんな決定をしていかなければなりません。会議をよい方向へ導くのってすごく難しい!全体を見つつ個人にも寄り添う必要がありますからね。ファシリテーターの役割をこなせるようになりたいので練習を続けています。私の仕事って、広くとらえると結局ぜんぶ『サポート役』みたい」

最近になって、「私、サポートするのが大好きかも…」と自覚するようになったそう。仕事でも仕事以外でも、誰かの相談に乗ることが増えました。

「さくらの家で働いてきたことで、他人の話を聞くことが上手になったと思います。そこから一歩進んで、私が何かの役に立てたらもっといい。…実は、密かに温めている夢があるんですよ。いつか、娘と一緒に小料理屋をやりたいの!人目を気にせず話しができて、みんなの相談事にも乗ってあげられる、そんな場所をこっそり作りたい」

…なんて素敵な夢!聞き上手で料理上手、そして酒豪(!)の本多さんが最高に輝ける場所になりそう。

手にしているのはクロモジ(ふくぎ)などのハーブを使ったクラフトジン「香の雫」。メーカーの養命酒製造はクロモジ研究に力を入れており、クロモジ入り製品をいくつも開発。ふくぎ茶がきっかけで、さくらの家との交流が続いています。


「困難にぶつかって先が見えないような時でも、すぐには諦めない!」というのがポリシー。

振り返ればふくぎ茶の商品開発も、「無い無い尽くし」の中、普通の人ならアッサリ諦めてしまいそうなもの。でも、本多さんは思考停止しません。「無い。なら、どうする?」「出来ることは何?」としつこく考えることで解決の糸口を見つけてきました。

「私、口では『そんなの出来ないよー!』って言いながら、心の中では出来る方法を考えてる。うん、必死で考え続けますね。負けず嫌いなんですかね(笑) で、納得いくまで考えたらとりあえずやってみる。もし失敗でもまだ諦めない。違う方法を考えて、またやってみる。ふくぎ茶の開発の時もそれを何度も繰り返しました。ただし、無理はしないことも大事なんよね。何事も“いい塩梅に!”が、長いこと頑張り続けられる秘訣かなあ」

さくらの家のメンバーは全員大人ですが、より若い障がい者へのサポートを充実させるのは町が抱える課題の一つです。支援の仕組みが整っていないことがずっと気になっていた本多さんは、役場の健康福祉課職員や、海士診療所で療育(発達支援)を行うスタッフと協力しあうことで、障がいのある子どもたちを週に1回さくらの家で一時的に預かる事業(日中一時支援事業)を2021年10月からスタートさせました。

「ずっとやり方を考え続けていて、ようやく一歩踏み出せたところ。各部署の仲間たちと繋がっているからこそ実現できました。島内外のネットワークを活かすことは本当に大事で、そのためにもやっぱりファシリテーションやコーディネートの力が必要なんよ。もっと場数を踏んでスキルを深めていけたらいいな」

過疎の離島だからこそ、さまざまな交流で外部から力を得て挑戦を続けてきた海士町。個人の挑戦においても、成功に近づく鍵は同じなのかも…。

「分からないことがあっても、ネットワークをうまく使えばいつでも誰かにアドバイスをもらえて、行動にうつせます。私は本土での研修で知り合った人にもよく質問して助けてもらっていますよ。逆に自分が何かを相談された時、もし応えられなくても、誰か専門家を知ってさえいれば紹介して繋いであげられますよね。そういう状態って、すごく安心じゃないですか?ネットワークのおかげで他人の知恵をいつでも借りられるのは、まさに “ないものはない”って感じ!」

日中一時支援事業が始まったことで、「海士町の子どもたちにさくらの家をもっと知ってもらえるから嬉しい!」と期待する本多さん。また、「さくらのメンバーたちの笑顔は本当に魅力的で、人を元気にする力があっけん、私はいつも元気をもらってます。そのパワーを子どもたちにも受け取ってもらいたいな〜!」という願いも。

「無い」という現実に負けたくないという強さをずっと失わず、アクションを起こす。

常に自分をバージョンアップさせ、島の障がい者福祉を底上げし続ける原動力こそ、“ないものはない”スピリットに他なりません。


【書き手よりひとこと】

ふくぎ茶は、島にあるものを活かして新しい価値を生み出した、ないものはない的思考の賜物です。そして本多さんも、「無い」状況を逆転していけるたくましさをもった女性。鬼のような粘りを見せ、かと思えばあっけらかんと笑い飛ばせる。その余裕こそ、強さなりー!

小料理屋を開いたあかつきには夜な夜な私の相談を聞いて下さい。ふくぎ茶の焼酎割りでも飲みながら…

 

(written by:小坂まりえ/フリーランスライター)

 


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