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「よみがえる承久の乱展」オンラインイベントに参加しました!

2021年は、後鳥羽院が隠岐の島海士町へお遷りになられて800年です。そんな記念の年に、京都文化博物館にて開催された「よみがえる承久の乱展」のオンライン展示イベントの様子を、後鳥羽院顕彰事業実行委員会のみなさんがレポートしてくださいました。早速ご覧ください。


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承久の乱から800年という節目の年に、京都文化博物館にて「よみがえる承久の乱展」が4月6日より開催されました。私たち後鳥羽院顕彰事業実行委員会も、資料提供等で協賛させていただきました。


今回は5月12日(水)に行われた、「よみがえる承久の乱展」を巡るオンラインイベントについてレポートします。

オンラインイベントでは、承久の乱一筋で研究活動を行う学芸員の長村先生が、当時の政治体系や後鳥羽院の人物像、そして承久の乱の勃発から隠岐島への配流に至るまでの歴史について、展示されている最新の資料・研究成果を観覧しながら解説されていました。

まず館内に入って目に映るものは、後鳥羽院をはじめとした24方の天皇と院を描き並べた画巻です。後鳥羽院がお生まれになった1180年代は、源平合戦の真っ只中でした。この頃の朝廷は院政による政治を行なっており、これは後鳥羽院の曽祖父に当たる鳥羽天皇の頃より見られます。後鳥羽院も例にならい、19歳で上皇となられて院政を敷きました。

続いて歩を進めると、熊野詣の旅程で催した歌会で用いた懐紙、蹴鞠で使う履物、更には菊の紋をあしらえた太刀など、様々な展示品が並んでいます。これらは後鳥羽院が携わった文化芸能にまつわる品々であり、後鳥羽院が遍く芸能に精通する「多能の帝王」であったことを物語っています。

長村先生の話によれば、後鳥羽院は蹴鞠において仲間と一緒に2000回という記録を打ち立てたり、三種の神器の一つである刀剣が失われたまま即位したことを悔やんで刀剣製作に精をだしたりと、様々な逸話が残されているとの事です。

貴重な文芸品の数々を観覧した後に目に入ってくるものは、今回最も注目すべき資料である「承久記絵巻」です。

上記リンクから、絵巻の一部を見ることができます。


「承久記絵巻」は、承久の乱の経緯を描く現存唯一の絵巻であり、今回の展示会にて全巻公開する予定でした(緊急事態宣言発令により、前半のみの公開)。

絵巻は後鳥羽院が自身の親衛隊的組織である西面に、北条義時とその義兄に当たる伊賀光季の追討を命じる場面から始まり、戦いに敗れた後鳥羽院が鳥羽院にて隠岐への配流を待つ場面で締め括られています。また、宇治川の戦いの様子が生々しく描かれており、戦乱の激しさを垣間見ることができるでしょう。

最後に、隠岐にて後鳥羽院が編纂・執筆された品々に目を向けながら、隠岐と後鳥羽院について触れていきます。後鳥羽院は隠岐にて「新古今和歌集」に手を加えられたり、仏教への信心を記した「無常講式」を執筆されたりと、文化芸能への取り組みを続けておられました。

また、今回紹介には上がりませんでしたが、後鳥羽院が隠岐の風景や日常を和歌に詠んだ「遠島御百首」など、隠岐には後鳥羽院ゆかりの文化が数多く残されています。 

今回の承久の乱展を通して、承久の乱について更に理解が深まると共に、後鳥羽院の文化人としての一面をより鮮明に知ることができました。現地に行くことはできませんでしたが、本イベントのおかげで後鳥羽院ゆかりの展示品を見ることができ、とても良かったです。

来年度には、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にて承久の乱が扱われます。後鳥羽院はもちろん海士町も舞台として取り上げられるかもしれませんね。楽しみです。


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後鳥羽院顕彰事業実行委員会のみなさん、オンラインイベントの様子をレポートしてくださり、ありがとうございました。今回の展示物を掲載した「よみがえる承久の乱展」図録は、海士町中央図書館にて貸し出予定とのことです。ぜひこの機会にご覧くださいね。

よみがえる承久の乱展図録

「よみがえる承久の乱展」の図録
※6月30日までオンラインでも販売しているそうです。


島との距離は離れても、気持ちはいつも近くに