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国境を越えてつながるグローバルな関係人口 18年ぶりに来島して

18年前に、海士町の都市農村交流ツアー「AMAワゴン」で海士に来島した,長神さん。
普段はシンガポールに家族と在住し米系企業に勤めている。
今回長期休暇を利用して3週間来島中。

18年ぶりに来島して何をを感じたのか、長神さんにお聞きしました。


海士町との出会いはさかのぼること18年前_

長神さん:
大学3年生の時にボランティアに関心を持ち始めました。
当時インドネシアで大津波を伴う大地震があって、その支援の ボランティアをするサークルの立ち上げをすることになりました。

そのために組織の運営、特にボランティアの運営のノウハウをちょっと学びたいと思い、色々調べていくと、「AMAワゴン」にたどり着いたんです。

【AMAワゴンについて】
2006年~2008年にわたり年に5回、計19回開催された海士町の都市農村交流ツアー。
きっかけは海士中学校の修学旅行で一橋大学を訪問し、海士町を題材に中学生が大学生に「逆・出前講義」を行っていたことである。その際に海士町に関心を抱いていた大学生たちに「高校の存続を守るためにはどうすればよいか考えてほしい」と相談したところ、「若手の一流講師と有名大学の学生たちを島へ呼び、隠岐島前高校で出前授業をする」というアイデアを提案してくれたのだという。

東京を起点に20~30 人の若者たちをワゴン車に乗せて海士町に来てもらい、出前授業や海士町体験を通して一緒に町の課題解決に取り組んでもらうプログラム。島外からきた若者たちが、教育、畜産、観光、人材育成、メディアなど様々な分野で新事業を起こしていった。

のちの隠岐島前高校の再生や現在の大人の島留学、海士町の関係人口の発端ともいえる。

地域人材育成研究第5号

長神さん:
東京から本当に大きなワゴン車が来て、 僕は当時京都にいたので途中で拾ってもらうために、
雨(あま)傘に「海士(あま)町まで」と書いていましたね。

当時をふりかえって

長神さん:
当時のAMAワゴンは2泊3日と短い滞在で、同じ時期に30人くらいの人たちが来ました。海士町の魅力を知るための体験で4チームに分かれていて、僕は釣りチームでした。

岩ガキを養殖しているいかだに乗り採れたての岩ガキを食べたり、
船に乗って大きな鯛を釣ったり、天川の水を飲みに行ったりして楽しみましたね。

長神さん:
その後に町長とバーベキューを囲むという会もあって、 役場の人と僕らとでサザエなどを焼いてもらってもてなしてもらいました。

長神さん:
来る前はただただ組織運営を知りたくて来ただけだったんですけど、 とても人情が熱くて、おもてなしもしてくれて、 水が湧いてて、お米ができて、海の幸があって、隠岐牛があって…

すごくすてきな環境で、良い経験をさせてもらった人たちに何か恩返しができないだろうか、

そう思い3か月後、 2度目は出前授業というかたちで再来島しました。

同時に、当時所属していたフットサルサークルの夏合宿も海士町で開催してフットサルの合宿のかたわら、中学生の部活や補習の手伝い、そして出前授業を行いました。

出前授業では、部活、受験勉強、中高の思い出や大学での研究など経験談を語り、子どもたちに夢や希望を与えるというコンセプトの講義をしました。

出前授業の様子

AMAワゴンを終えたあとは

大学3、4年時はインドネシアの震災ボランティアに参加。

大学院に入る前に1年間休学をして、ヨーロッパで語学研修とインターンにも行きました。
大学院の1年生の時には、2か月ほど先輩が留学をしていたカナダの大学で、日本語を勉強してカナダ人に日本語を教えていましたね。

大学卒業後は、今の会社に入って日本とシンガポールを行ったり来たり。
日本にいるときはふるさと納税で海士町のものを選んだりしていました。
そして現在はシンガポールに住んでいます。

今回再来した理由は

今回再来したのは海士町に住んでいる友人に会うためと、
子どもたちに自然あふれる離島の暮らしを楽しんでもらうためです。

自分の手でできることは自分の手でやる。
魚を釣ってさばいてみる、木をとってきて火を焚いてみる。
そういう、いわゆる生きるために必要なことを全て自分でやるみたいなことを体験してほしかったんです。

今住んでいるシンガポールでは 、子どもたちが里山みたいな感じで遊べる場所がないし、もちろん海は いろんな貿易船が通ってるので、こんな海士みたいな綺麗な海じゃない、

自然で遊べるような環境ではないので、特に自然が好きなお父さんとしてはそういうところで遊ばせられることがうれしいです。

海士町の昔ながらの和舟「かんこ舟」にも挑戦

3週間滞在してみて

今のところ、やりたかったことリストの 9割ぐらいはできているので大満足しています。

当時より今の方がより楽しく遊ばせてもらってるし、地元の人は多分当時と同じぐらいすごく良くしてくれています。
竹林まで連れていってくれて竹を切り出し流しそうめんを作ってくれたり、海でたこ釣りをしていたら近くのひとがたこの釣り方とかエサをくれたり、、―今度はイカ漁船に乗せてもらう予定もあります。

なにより大祭は最高に良かったですね。
北分の大祭に参加させてもらえて、神輿をかついだんです。
誰かに話を聞いたら、旅行者で祭りのお御輿を担がせてもらえるというのは、ほとんどないらしくて、すごいラッキーなことだなと思いました。 

はじめは梅雨が遅れたというのもあって、あまり遊べなくて暇になるかと心配していました。

でも今では偶発的な出会いが重なって、次から次にやりたいことが増えていて、時間が足りません。

今の海士の還流の流れをみて

大祭の時にたくさんの若者が来ていて、
周りで見ている若者は外からの人なのかなと思いましたが、
神輿をかついでいる人の中に大人の島留学生やJICAのグローカル生がいるとは気づきませんでしたね。

それくらい馴染んでいたというか。

北分の大祭

先日には、高校生と対話する機会もあって、高校から海士町に住み始めた子たちがほとんどで、中学生の時に親元を離れてここに来るってすごいことですよね。

18年前と比較して、当時はいわゆる島留学という制度はなかっただろうし、
今回はいろんな場所で会ったりしているので、どんどん根付いているように見えるから、それは外から見る視点からだとうまく共生してるように見えて、すごくいいことなんじゃないかと感じました。

18年前から変わらないもの

長神さん:
やっぱり人との繋がりで温かく迎えてくれる感じは、
当時も今も変わっていないなと思っています。
なんかすごく居心地がいいというか、人とのご縁のおかげで色々楽しいことが偶発的に起こるというのが海士町のいいところだなと思いますね。



当時AMAワゴンを運営していた宮岡さんから一言

宮岡さん:
当時AMAワゴンで海士町に来ていた子たちが、後に隠岐島前高校の魅力化プロジェクトや大人の島留学に関わっていて、その時期が海士町のターニングポイントだったのかなと思います。

AMAワゴンに参加していた子たちは、定期的に海士町を訪れていたり、
年賀状やSNSなどで今も連絡を取り合ってる子もいます。
その子たちとまた何か新たな取り組みができたらいいなと思っていますね。


ーー長神さん、宮岡さん、ありがとうございました。



(海士町note担当 福田)




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