見出し画像

郷土愛を育む読み物を届け続けたい

大人の島体験生が海士町の地域共育を支える方々に熱い思いを伺うインタビュー企画「あま育を支えるひと」。2人目は海士町教育委員会学芸員 水谷憲二(みずたにけんじ)さんです。


プロフィール


ーどのような経緯で海士町の教育委員会に勤務されることになったのですか?

前職の三重県総合博物館で働いていたとき、当時の館長が海士町の文化事業に携わっていたんです。その繋がりで声をかけられました。

実際に海士町に勤務することを決めたのは、3つ理由がありました。

まず1つ目は、前の職場が大きい博物館だったので、あまり自分の興味で仕事することができなかったんですよね。そこで、「あー、こじんまりした教育委員会で好きなことやってみたいな」という思いになりました。

2つ目は、離島というミステリアスな環境に惹かれたことです。

そして3つ目は、当時釣りが趣味で、この日本海の大海原で釣りがしたいなという熱い思いがあってここに来たんです。まあ今はほとんどしないんですけどね(笑)。

いざ海士町に来てみると、職場である海士町教育委員会は、とてもフレンドリーで和気藹々とした雰囲気で驚きました。こういう雰囲気の職場って本当珍しいと思います。

6月初旬に行われた海士町教育委員会の新入職員歓迎会は、
水谷さんの名司会で大盛り上がりでした。

ー学芸員視点から「海士町のここは面白い!」というポイントはどこですか?

やっぱり後鳥羽上皇関連の史跡が魅力的ですね。こんな小さな島に上皇のような偉い人が流れてくるのは他にないですからね。あとは、郡山遺跡、知っていますか?あそこ、知る人ぞ知る結構有名な遺跡なんですよ。その他にも町内には土器とか拾えるところいっぱいあるんです。後鳥羽上皇よりもっと前、1000年も昔の海士にも暮らしていた人がいたんだと思えば、なんだかロマンがありますよね。


ー教育委員会で、どんなお仕事をされているのですか?

教育委員会に来た2018年の春から町史編纂をずっとやってきて、2021年の秋にようやく形になりました。最初からやりたいことが やらせてもらったな、という思いです。

現在は、「島本」(絵本後鳥羽上皇物語)と呼ばれる、郷土愛を育むために小学校で使用する副読本の制作を行っています。

それから、また新たな町史のプロジェクトを立ち上げてまして、自然編と民俗編の準備をしているところです。

あとは、文化行政の全般ですね。例えば島外から調査に来られる方の対応も私が担当しています。


ーお仕事の中で大切にされていることを教えてください。

町民の皆様に郷土愛を持ってもらうことを目標にやっていますね。島全体で後鳥羽上皇を尊敬する気持ちがとても強いので、今も町民の郷土愛は大きいと感じています。でも、歴史が好きな人っていうのは少ないと思うんですよ。自分が作った本を手にして少しでも郷土の歴史に触れてもらって、この町をより好きになってもらえることが一番幸せです。気軽に町の歴史に触れ合える機会みたいなものを今後も作ってい行きたいと思います

 

‐普段はひたすら執筆作業かと思いますが、休日はどのように過ごされているんですか?

10㎞くらいウォーキングしてます。ブームですね。隠岐開発総合センターに車を停めて日ノ津から福井の方まで歩いてそれから菱浦の方まで行ってここに戻ってくるということが多いですね。平地なんで歩きやすいんですよ。


ー最後に、今後水谷さんの「郷土愛を育む」ビジョンをお聞かせください!

目標はいくつかあります。1つは なるべく分かりやすい馴染みやすい読み物を作っていきたいなと思ってます。新町史の編纂、それから副読本を何冊か出したいです。


もう1つは、後鳥羽院資料館が古くなってきているので、最終目標として建て替えの希望はありますね。

そこまでできれば十分目標は果たせたという感じかな。海士町でやれる限りやりたいなと思っています。


ー町史に関することで、町史編纂以外でやりたいことはありますか。

戦争を題材にした展示は毎年やりたいなあと思っています。三重県総合博物館にいた時は結構 戦争をテーマにした展示をやっていたんですよ。海士町でも1回ちょっとしたものを展示したんですけど、昔こういう苦労した時代があったっていうのを知ってもらいたいですね。

あとは、町の有志で郷土史研究会みたいなものができると歴史に興味を持ってくれる人が増えると思うんです。昔は結構あったあったんですよ。そういうものがなくなってしまってちょっと寂しい思いをしているんです。歴史好きのお年寄りも本当に少なくなってしまっているので、郷土愛を育む歴史を大切にしてくれる人が一人でも増えてくれたらやっぱり嬉しいですね。

ー地域の方にひとこと!

ずっと海士町に住んでいらっしゃる方はもちろん、Iターンや大人の島留学等のプログラムがきっかけで海士町に来られた方にも、海士町の歴史に触れ、郷土愛を持っていただけたら嬉しいです。そして、そういう方々が海士町に長く住んでいただけたら良いなあと思います。


インタビュアーから:あもメモ

普段は、海士町教育委員会事務局と同じ隠岐開発総合センターの2階にある町史編纂室で、黙々と執筆作業をされている水谷さん。今まではとてもミステリアスな存在でした。

しかし、このインタビューでは過去から現在のプライベート、そして今後の夢まで沢山のことをお話ししてくださり、ぎゅっと距離が縮まった気がします。海士町教育委員会で一番水谷さんのことを知っているのは今や私たちインタビュアーなのでは、と思っています。

この記事の執筆を持って、私の海士町教育委員会でのインターンは終了します。5月から「あま育」をお読みいただきありがとうございました。皆さんが海士町教育委員会の業務や地域共育の内容について「今までよりも見えるようになった」と感じてくださっていたら嬉しいです。

次号は、私と同じ海士町教育委員会で活動中の大人の島体験生で、今後もインターンを継続する山田さん(下写真左)が新記事を投稿する予定です。

歴史への熱い姿勢から、学生時代からもっぱら研究者肌かと思いきや、大学では就職の際役立つと考えて経済を専攻した水谷さん。水谷さんの「歴史」も海士町史と同じくらい興味深いインタビュアー名取でした。
 


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

島との距離は離れても、気持ちはいつも近くに