目の前のことに淡々と取り組むことで見える景色
海士町はJICA(独立行政法人国際協力機構)と提携を結んでおり、JICA海外協力隊の派遣前の任意訓練、グローカルプログラムの受け入れ先となっています。JICA海外協力隊とは開発途上国に2年間派遣され、現地でそれぞれの専門性を生かしながら地域の発展を目指すものです。
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今回から4月から6月の3か月の間グローカルプログラム生として活動した鈴木さん、七瀬さん、牧野さんのインタビューをお届けします!
今回の記事は鈴木さんのインタビューです!
海外へのあこがれからJICA海外協力隊へ
ーどうしてJICA海外協力隊に応募したのですか?
鈴木さん:
実は以前にJICA海外協力隊としてブータン国立伝統工芸学院に人形制作の指導をしたことがあったんです。
日本に帰ってきてからもちょこちょこ10年くらいJICAの要請を眺めていました。けれど、子育てが佳境に入っていたというのもあって、応募できない状況が続いていました。
ようやく子供が社会人になってお金がかからなくなり、協力隊に行けるかもって時に自分にぴったりな要請が出ていてんですよ。奇しくも同じブータンの国立伝統工芸学院の今度は彫刻教室の要請だったんですね。彫刻は自分の専門だったので応募しました。
ーずっと海外に興味あったんですか?
鈴木さん:
私はずっと海外行きたいんですよ、行きたい気持ちが若い時からものすごい強い。10代の時から、芸術の分野に入り、ニューヨークだーとかヨーロッパだ、パリだとかそういう憧れはあったんですけど。お金がない、度胸がない、そういう色々縛りがあって、結局行かずに40歳過ぎちゃったんですね。JICAの協力隊を知ったとき、ヨルダンの要請が冗談みたいに私にぴったりで。チャンスを逃さず応募しました。帰国してからも要請を眺める日々で、協力隊への応募を2回3回と繰り返しました。
人生でこれまでもこれからも行きそうになかった海士町へ
ーどうして海士町に来たのでしょうか?
鈴木さん:
2022年3月31日まで埼玉県で非常勤職員をしていました。3月末で退職したので、訓練が始まる7月まで3ヵ月だけアルバイトするってことも考えたんですけど、グローカルプログラムを知って。グローカルプログラムによって訓練が始まる7月までの空白がうまく埋まって。そりゃ参加しますよね。
5つの候補地の中で、東北地方は釜石と陸前高田だったかな。東日本震災のヘドロかき出しボランティアで行ったことがあったんで。東北地方は行った経験あり、イメージがついて。
全然行ったことがなくて想像もつかなかったのは熊本と南部町と、海士町だったんですけど。そのなかで将来も行かないだろうなあってところが島だったんですね。第一希望の要請が通って海士町に来たって感じです。
前職とは違い、身体を動かして活動したい!
ー海士町での活動を教えてください!
鈴木さん:
牧場の竹をひたすら切って牛さんの道を拓くということをしていました。3月まで事務仕事をしていたので、身体を動かす仕事をしたいとずっと思っていたんです。
鈴木さん:
作業自体は単純なので、あとは時間の問題でしたね。
活動をしていく中で、途中で終わってはいけないなという想いがありました。活動していくうちに、進捗状況が見えてきて。一番怖いのはケガと病気でしたね。骨折したらおしまいなので。安全確認しながら、やっていました。なんとか水飲み場まで任期中に道を切り開くことが出来ました。
日焼けした以外にグローカルの仲間から意外な指摘も
ー海士町での3ヵ月を終えて、変化はありましたか?
鈴木さん:
日焼けしたっていうことと、ちょっと上半身筋肉ついたなーって感じです。他は変化ないですって言ったら、同期のグローカル生から「鈴木さん柔軟になった」とご指摘がありまして。。確かに最初は、自分のペースを乱さず過ごしていたのですが、島を離れる頃には夕食会など、イベントにも参加するようになっていました。自然と人と関わる楽しさを知ったのかも知れません。
掛谷牧場の掛谷さんから
まさかの逆オファーで道を切り開くことに
どのような流れで鈴木さんが掛谷牧場で活動することになったのですか?
掛谷さん:
オリエンテーションで牧場を紹介した時、鈴木さんが牧場が抱える課題に興味を持ってくれて。とんとん拍子に決まった感じですね。まさか鈴木さんが私の牧場で活動したいって言うなんて思ってなかったです。笑
ー活動内容はどのように決められたのですか?
掛谷さん:
牧場と牧地を探していた時、竹藪とか雑木の覆われた土地を見つけ、近所の方のご厚意で牛を放牧しても良いとのことだったので、昨年お借りしました。いずれはひらけた牧場にしたいという気持ちがあったんですが、私は牛の世話をするのに精いっぱいで。ひらけた牧場にするために人手が足りなかったんです。そこに鈴木さんが来てくれて。ただ、活動期間が3か月しかないので、道の開拓は正直難しいと思っていたんです。いろいろ検討している際に、鈴木さんの方から「牛の水飲み場までの道を作るのはどうか?」と提案してくれたんです。
ー実際鈴木さんが来てどうでしたか?
掛谷さん:
仕事の仕方が上手ですよね。力があるとか、体力があるとかっていうよりも段取りの付け方が上手だな、社会経験の豊富な方だなと感じましたね。無理もしないし、これぐらいかなっていうところを徹底して、着々とこなしていく姿は本当に感心しました。敬意を込めて、完成した道は、鈴木ロードと読んじゃっています笑
あとがき
ひとりで目の前のことに黙々と取り組むことで見えてくるものがある。気づけば鈴木さんの周りには活動をサポートしてくれる人の輪が広がっていました。3か月という短い期間の中、竹藪を切り開き道を開通させた実行力の高さに驚くばかりです。皆様ぜひ鈴木ロードを一度歩いてみてください!
ここまで読んでくださった皆様ありがとうございました!
文・大橋拓真