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等身大で生きたい! 自分を信じて、朗らかに

2022年に開店20周年を迎えた、海士町の海鮮居酒屋「味蔵(みくら)」。
その味蔵を夫婦で切り盛りし、陰に日向に大将を支える女将が、宇野幸枝さんです。

幸枝さんのもう一つの顔は、ヨガインストラクター。定期的にヨガクラスを開催し、多くの島の女性たちに頼りにされています。

 
ただ美しいだけじゃない、幸枝さんから滲み出る心地よい強さの正体は、一体何なんだろう?
ヨガの活動を始めてから何だか雰囲気が変わった気がするけど、なぜだろう?

そんな疑問を胸に秘めて臨んだ、ないものはないインタビュー。
 彼女らしい、嘘のない言葉で紡がれた丁寧な語りの中には、時間をかけて自分自身を解放してきた長い“戦い”の軌跡がありました。


葛藤のなかUターン。怒濤の20代・30代

幸枝さんは西ノ島町出身で、隠岐島前高校卒業後は大阪で就職。同じく大阪の調理師専門学校で学んだ海士町出身の宇野将之さんと20歳で結婚し、二人で島根に戻りました。

プロの料理人になった将之さんは、松江の老舗旅館「皆美館」で修行をスタート。まもなく幸枝さんは長男の翔吾くんを、3年後には長女の未来ちゃんを出産し、2児の母親になります。

厳しい料理人の世界で頑張るご主人を助けつつ、家事と子育て、パート勤務。忙しくも充実した松江での生活が7年目に入った頃、ご主人がある決断をします。それは、料理人として独立すること。そして海士町へUターンし、自分の店を構えることでした。

「正直言って、私は帰りたくなかったんですよ。松江にいると自由に生きられる気がしていたし。しかも、まーさん(=将之さん)の態度が気に入らなくてね(笑)。『いいけん、黙って俺に付いてこい』という言葉があればまだ良かったけど、何も言わずに、『言わんでも分かれ!』みたいなタイプ。今思えば、それも男気だよね。妻子を養う自信があったからこその決断だったんだろうって、今なら思えるんだけど…、当時は私も若かったから、勝手すぎるわ!って腹が立って仕方がなかった」

モヤモヤとした気持ちと葛藤を抱えたまま、家族で隠岐へ帰ってきた幸枝さん。その時の気持ちを振り返ると、ただ「負けたくない」という感情一色だったと言います。

「主人は商売人の家庭で育ったから生活のメインは仕事。でも私は親が公務員で、子育て中心で考えちゃう。理想とする家庭像が全然違っていました。当時の私は、この価値観の違いを認めずに、すり合わせることもなく、ただ『負けたくない』って張り合っちゃったのね。家事もお店も子育ても、ぜんぶキッチリやってやる!見てろ!って」


将之さんは今の味蔵の土地を買って建物を改修し、念願だった自分の店をついにオープン。
幸枝さんも味蔵を手伝って働く生活が始まりました。

老舗仕込みの海鮮料理はすぐに評判になり、味蔵が軌道に乗るまで時間はかかりませんでした。ランチ時間も営業し、居酒屋なので閉店も遅く、子育てママには負担が大きい状況です。でも幸枝さんは、お店の料理の余りや残りを子どもたちには絶対に出さないと決意。毎日必ず、子どもたちのためにご飯を作っていました。

「それが私の愛情であり、プライドでした。振り返ってみると、ひとりで戦いながらがむしゃらに突っ走っていた感じです。その必死さが人相にも出ていたみたいで、友達には、顔がキツいよー、目がつり上がってるよ!ってよく言われてました…」

そのストイックさの矛先は、自分の身体にも向けられました。島へ帰ってきた27歳の頃から10年ほど、ひまわりのプールエクササイズと本気の筋トレを継続。まるで自分の“強さ”を証明するかのように、もっともっと、身体を鍛えようと…。

「痩せようと思ったのがきっかけだったけど、どんどん自分を追い込んでいって。お店の仕事でヘトヘトのはずなのに、よく続いてたなと自分でも感心します(笑)。でも筋トレに通うことは、当時の私にとっては必要な気晴らしでもあったんです」

お店から離れて自分をリセットするための筋トレタイム、という意味では、たとえ身体は疲れていても心は喜んでいたのかもしれません。とはいえ無理は続かないもの。結局体調を崩してしまいました。

「婦人科系の病気になって強制終了。やっぱりストレスがたまったんでしょうね。それでも何かに打ち込みたくて、じゃあ何をしようかって探していたとき、ヨガに出会いました」


ヨガとの再会。そして迎えたターニングポイント

ちょうど40代に入る頃にヨガを始め、大阪のヨガスタジオにも通うようになった幸枝さん。ヨガは、静かに深く呼吸し、自分自身とじっくり向き合うトレーニングでもあります。アーサナ(ポーズ)を覚えるだけではなく、なぜそこを伸ばすと気持ちがいいのか、なぜそこがリキむのか、詰まるのかなど、深い意味を考えることに、いつしか夢中に。それは、身体がどうしてほしいかを感じとること、身体の声を聴くことに直結していました。

実は、幸枝さんとヨガとの出会いは小学3年生の頃に遡ります。当時はまだ西ノ島町に住んでいて、一緒に暮らしていたおばあちゃんに連れられてヨガ教室に通っていたそう。

「私は三姉妹の真ん中で、いつも姉と妹に気を遣っていたのか、身体が弱くてアレルギー体質でした。そんな私を見ていたおばあちゃんが、この子にはヨガが必要だと思ったんでしょうね。自分が通っていたヨガ教室に私だけを連れて行ったんです。おばあちゃん、鋭いよね(笑)。今思い出しても、誰よりも背筋がピンとしていて、凜とした素敵な女性でした」

そんなおばあちゃんへの憧れもあってか、ヨガ熱は深まるばかり。そして本格的に習い始めてしばらく経った頃、大きなターニングポイントが訪れます。

当時、42歳。長男の翔吾くんが地元の隠岐島前高校を卒業し、進学のため家を出たときのことです。

「大阪で翔吾を見送った時、だーーーっと涙が出て、止まらなくなったんです」

街中にも関わらず、とめどなくあふれでる涙。
かつての幸枝さんだったら、こんなところで泣いちゃいけん!何しとっだ私!と我慢したかもしれません。でもその時は違いました。頬を涙が流れるに任せて、心の奥底から奔流のように押し寄せてきた気持ちは、自分へのねぎらいだったと言います。

「私は若いうちに出産したから、子どもが子ども育ててるような感覚がずーっとあって。母としてもっとしっかりせんといけん!という力みがひどかったんです。つい他のお母さんと比べてしまって、だいたい皆さん年上だし、他の親のが偉く見えました。全然自信がもてなくて、私は私で頑張ってるのに何でこんなに未熟なんだー!!って叫び出したいくらいだった。でも、今、息子はちゃんと自立していく。その姿を見ていて…これでいいんだ、私はちゃんと頑張ったんだ、ってようやく思えたんです。認めてあげようって。同時に、いま自分が泣きたいならちゃんと泣ききろうって思ったの。これからは、自分の身体が発している声をちゃんと聞いてあげる人生にしようって」

頑張った自分に、よくやったねって初めて言えた。自分と仲直りできた瞬間でした。


ヨガから得た多くの学びの中でも、幸枝さんの心に深く刺さっているのは、ヨガ哲学の中にある『足るを知る』という言葉です。それは、今すでに持っているものに感謝することで心が満たされるという在り方。

 「私はずっと自分にOKを出せなくて、もっともっと!って欲ばかり強くて。でも、今すでにあるものをちゃんと見ずに新しいものを手に入れても全然しっくりこないんだということにようやく気付きました。本当に荒波ばかりの人生だったけど、でも子育てはめっちゃ楽しかったし、本当に多くのものを与えてもらった。もう感謝しかないの。感謝できるようになったことが私の成長ですね。子どもたちは子どもたちでどんどん成長してるから、私も負けてらんねー!って本気で思ってますね」


愛娘の未来ちゃんと。

負けたくない!と気合いを入れるのは昔と同じ。負けず嫌いは性分です。ただ、ヨガを極めよう!とがむしゃらに自分を追い込む幸枝さんはもういません。

「ヨガの考え方を理解するほど、執着しないようになりました。この先ずっとヨガを続けるかどうかすらわからない。でもたとえ止めたとしても、生き方の基本はずっとヨガです。それくらい、私にとっては大事な考え方を教わっています」 


この島のために自分が出来ること

周りを満たそうとするよりも、まず自分が満たされるのが先。それが正しい順番だと教えてくれたヨガ。自分みたいに救われる島の女性はたくさんいるはず!と直感した幸枝さんは、学び始めてすぐ「私もヨガの先生になろう」と決めました。

以来コツコツ勉強を続け、経絡ヨガ、バクティフローヨガ、シニアヨガなど、さまざまなインストラクター資格を取得。同時に女性健康医学や解剖生理学も学びました。

2年前からは海士町内でヨガ教室をスタートし、女性の身体にも心にも寄り添えるヨギーニ(=ヨガをする女性)として、どんどんレベルアップしています。

夜のヨガクラス。この日はクリスタルボウル演奏とのコラボヨガ。

「私のヨガ教室は、気づきの場所でありたい。身体の声をちゃんと聞けるような、メンタルを開かせるような誘導を心がけています。もうみんな頑張っとっけん、これ以上頑張れなんて言わない。むしろラクになろうよ!と言いたい。島の女性、特に働きながら子育てをしている女性は、かつての私のように息苦しさを持っている人が多いと思うんです。頑張れるだけ頑張って、自分を追い詰めて、自信をもてなくて。でも、バランスと調和こそが大事なんだよってヨガは教えてくれます。仕事も家庭も好きなことも、無理しない、“偏らない生き方”をしたいですよね」

島のほけんしつ蔵にて、夜桜ナイトヨガ

ヨガインストラクターとして真剣に取り組んでいるはいえ、「私の仕事の土台はやっぱり味蔵」とキッパリ言い切る幸枝さん。でも若い頃とは向き合い方が違います。

「いい意味で、ゆるくやりたい。そういう私の気持ちは料理にも伝わるはずだし、お客様がほっとするような料理をお出ししたいです。ヨガに関連してアーユルヴェーダ(=インドの伝統的医学)の勉強も続けているので、そのエッセンスを味蔵でも活かせたらいいな。そういうことを試すにも、この町はやりやすい環境だと思っています。というか、そういう個人のチャレンジができる島であってほしい」

幸枝さんにとって味蔵は、もう“戦場”ではありません。
愛をもって自分を活かす場所のひとつ。大将をサポートしながら、自分自身も輝ける場所になっています。


ヨガ視点の「ないものはない」

最近よく考えるのは、女性が活躍できる場をもっと増やして、やりたいことに挑戦する女性を応援したい。同じ想いの仲間を増やしていけたらいいな、ということだそう。

「女性が輝いている島なら、地域づくりもうまくいくんじゃないかな。だって、女性ひとりのチカラってすごいんですよ。そして影響力もすごい。例えばその女性が、ヨガ教室からいい気分で家に帰って、家族に良いエネルギーを伝えたら、家族みんながいい気分になって、その家族からまた他にも広がっていくでしょ」

ハッピーでポジティブな気持ちがどんどん広がっていく。ひとりの想いが巡り巡って島が変わっていくことを信じて、自分にできることをする。まずは自分を機嫌良くすることから始めようよ、挑戦はそれからよ!とにっこり笑います。

「それぞれの環境で、自分にできることだけでいいの。私には味蔵とヨガ。求めすぎてもしんどいだけ!やり過ぎず、やらなさ過ぎず(笑)。私自身、自分にとっての“ちょうどいい”を探し続けています。良い意味であきらめて、でも自分のチカラは信じて、今あるものに感謝して。バランス良く、人生を楽しんでいこー!!」

これが幸枝さんの「ないものはない」。
人生をかけてつかみ取ってきた学び、そのものです。


書き手よりひとこと
ヨガの視点から「ないものはない」をとらえることができるなんて、初めて気付きました。
激しい葛藤やチャレンジを経て、自愛の生き方を手に入れた“今の幸枝さん”はたまらなく魅力的。自由に・ゆるく・美しく。いい塩梅に気合いの入った生き方を、私もしたい!!…そう思わせてくれる女性です。島に生きる女性みんなにとって大切な道標!

取材・記事 / 小坂 真里栄(ライター)

島との距離は離れても、気持ちはいつも近くに