受け渡される島ファクトリーのバトン。水のように柔軟に、流れるように。
島の観光を支える、島ファクトリー。
2024年11月に代表の青山敦士さんから、あらたな世代へバトンを受け渡すことに。
島ファクトリーの歴史、それぞれの歩み
今回、青山さんからお2人にバトンを受け渡すこのタイミング。
青山さんに、創業から今までの島ファクトリーの歴史を辿っていただきながら、途中から仲間に加わった藤尾さんや肥留川さん、お2人から見える島ファクトリーについてお話しいただきました。
(青山さん)創業からコロナ禍前までの時期。島ファクトリーは本当に手作り。名前の通り、ファクトリーそのものでした。
(青山さん)ここは更地。気づいたら基礎工事が始まっていて、少しずつかたちになっていく。ここに本当にリネン工場が、手作りでできていくんだなって。
(青山さん)最後は屋根がない状態で、天井から大きな洗濯機が入ってきて。ドーン、入ったー!って(笑)当時は洗濯機の使い方も、シーツの畳み方もわからない。
畳まれているシーツを持ってきて、逆再生。
(藤尾さん)逆再生していったんですね。
(青山さん)そうそう、当時のメンバーとね。最初は民宿一軒のリネンを1日かけて50枚たたむみたいな。お金の計算をするたびに「どうしてやればやるほど赤字なんだ!?」って。
(肥留川さん)1日に50枚だとしたら売り上げって…
(青山さん)うん、このままではダメだなと。2.3年目のゴールデンウィークに、「ホテルの仕事を受けてみよう」と。一番繁忙期のホテル受けてみたりして(笑)
うちの息子にも手伝ってもらって、家族総出でシーツバラしたりして。
みたいなことを、最初のころはずっとやっていたかな。分からないことが分からないみたいな。
そのころにあとどの立ち上げも始まって。
(青山さん)いろいろあったけれど、少しずつメンバーも経験を積んできて量もこなせるようになってきた。
メンバーが出たり入ったりする時期もあって、観光協会からお手伝いに来てもらったり、逆に観光協会にお手伝い行ったり。7、8年くらいかけて会社を作ってきた。
そのころにはホテル業も軌道に乗り始めて、会社としてやっていけるかもなと。
観光協会に助けてもらって、最後は観光協会が支えてくれる、みたいな状態を作ってもらっていました。
(青山さん)2020年、コロナ禍に入ってから、観光業界全体に苦しい時期がやってきて。それと同時に多拠点やリモートワーク、いろんな形で島ファクトリーを支えてくれるメンバーも増えていきました。
コロナ禍で落ち込む中、当時のメンバーが「本当に観光ってその土地に行かないとできないのか?」っていう問いをみんなで出してくれて。
リモートトリップやてしごとマルシェを当時支えてくれていたメンバーが提案してくれました。
(青山さん)そのころから藤尾さんが島ファクトリーに関わり始めてくれたんだよね。
(藤尾さん)はい、当時私は観光協会の職員でした。観光協会もコロナの影響で活発には動けていない時期で。私自身も「島で働きたくて、ここに来たのに。私はここで何をしたらいいんだろう?」と思っていて。
そのときに、島ファクトリーの先輩方が「島ファクトリーがやっているリモートトリップや、てしごとマルシェを一緒にやらない?」と声をかけてくださって。
観光協会の職員として、島ファクトリーに関わるようになりました。
(青山さん)そのころはEntô(株式会社海士)の開業の時期でもあり、Entôのマーケティングやタビマエ業務、リネン、クリンネスの部分で島ファクトリーも手伝って欲しいという気持ちもあり。
最初島ファクトリーは観光協会の子会社だったのが、株式会社海士(以下、株海士)の兄弟会社という位置付けになり。株海士メンバーと島ファクトリーメンバーが行き来しながら連携をとり始めた。
そのころから肥留川くんにも関わってもらうようになったよね。
(肥留川さん)はい。当時私は、地元の群馬のホテルで働いていて。そのホテルにいらっしゃった青山さんと、10分間立ち話をして。
その10分がきっかけで、海士町にやってきました。
(青山さん)僕は十数年リネンに関わってきて「島の洗濯屋なんです!」と自己紹介のつかみで言っていて。それを面白がってくれる人はいたんだけど。
「島でリネンをって、どういうことですか!?」って本気で食いついてきた人は、肥留川くんが初めてだった(笑)
そしてそのために島に移住するって。この人はすごいと。
(肥留川さん・藤尾さん)あはは(笑)
(青山さん)初めは島でリネンを、という話だったんだけどね、最初はEntôのマーケティングから関わり始めてもらった。
そのとき、肥留川くんからは島ファクトリーがどんな会社に見えていたの?
(肥留川さん)私が見ていた島ファクトリーは、すこし言葉はあれなんですけど。
「純真無垢で、お金のにおいがしない」でした。
(藤尾さん)たしかに、そうかも(笑)
(肥留川さん)この人たちはいい人すぎるがゆえに、盲目すぎるのかもしれないみたいな。でも、それができる座組だったんだと思うんです。「あなたたちはそれでいい。」という空気が、周りの環境があった。
私自信、2020年3月から群馬でホテルの立ち上げに関わっていて。自分自身が0から1を作ることに走り続けていた時期でした。立ち上げ当初って、さまざまなコストをどうコントロールするべきかシビアになる。自分たちが実現したい世界に近づこうとすればするほど、いろんなプレッシャーがあって。
そのまま走り続けてきて、2年後くらいに見た景色が、島ファクトリーのその空間だった。衝撃的でした(笑)
でも、「豊かだなぁ」とも思って。
客室清掃をしつらえと捉えて、その仕事を、場所を、熱く語る人たちがいる。そのギャップが個人的にはすごく良くて、印象的でした。お金とかではなくて、純粋な気持ちで。自分たちの思いを詰め込んで仕事をしている。そう見えていました。
(青山さん)なるほど。たしかに、盲目的ではあるよね。
バトンを渡す、受け取る。島ファクトリーへの想い。
そんな時代を経て、青山さんからお2人に島ファクトリーのバトンを受け渡すことに。「島ファクトリー」という会社が変わるタイミングでもあり、お三方にとってもターニングポイントが。
(青山さん)僕自身、島ファクトリーと株海士と兼任すると決まった8年前。
「島の中で2つの会社を経営するほど器用じゃない、どっちかに集中したほうがいいのでは?」と言われてきた。「まあ近いうちね」と言っていたんだけど。
でも、島ファクトリーと株海士ではちがう経営アプローチをしていて。
それぞれ両方試してみながら、いいところは持ち寄りながらということができる8年間だったなと思っていて。それがある意味自分にとってはワクワクにつながっていた。課題はあったけれど、島ファクトリーのメンバーにとっても、この体制のメリットはあったと思っています。
ただ、この組織がより価値を、信頼を持ち始めた時に「このままではないんだろうな」と考え始めてもいた。これまでも何度か「次の代表は誰に?」という話もあった中で。
数年前に藤尾さんと話しているとき。当時、藤尾さんが何かにもやもやしていたんだよね。
(藤尾さん)はい。あのころは大阪に住みながら海士町の仕事をリモートで働いていた時期でした。当時の私は「島の仕事をリモートでもできるんだよ」ということを証明したいと言っている反面、まだ心のどこかで、都会で働くことに憧れていました。
「今の島ファクトリーの仕事が落ち着いたら転職してもいいのかな?」というもやもやでした。
(青山さん)そのころ、藤尾さんの幼少期の話を聞いていて。
「器用な方じゃないんだけど、一つのことに集中して、それを掘ったりすることで力を発揮できるタイプです。」と。
それを聞いたときに「僕自身も会社経営は勉強中だし、終わりがない競技みたいなもの。経営って興味ある?」と聞いてみたら前向きに反応してくれた印象があった。
「この人にならバトンを渡せるんじゃないか。そして、自分には想像できない会社にしてくれるんじゃないか」そう思い始めていた。
会社が、このままの想定内の成長ではなく、それ以上のものが必要だなと感じていた。それが今回の体制変更の大きなポイントでした。2人にとってはどういう決断だった?
(藤尾さん)私は観光協会の職員として外から島ファクトリーを見ていて、すごい自由な会社と見えていました。実際に自分が入ってみて「本当に自由なんだ!」と思って(笑)
言われてやるのではなく、自分で考えて動く。仕事は自分で作りにいくものというのが印象的でした。
ただ、自由だからこそ、会社の事業内でお互いに何をやっているか分かりにくかったり。株海士と島ファクトリーで一緒に動いているように見えることもあったけれど。それって、もったいないなと思っていました。
私の中で、島ファクトリーはとても価値のある会社。
ひとつの会社として確立していきたかった。
株海士の島ファクトリー。観光協会の島ファクトリー。何かに含まれている島ファクトリーではなくて、ひとつの会社として。
そんなことを考えている中、島ファクトリーのメンバーで合宿をして。「みんな島ファクトリーに対して、熱い想い持ってるんだ」ということを実感しました。
(藤尾さん)みんなも同じ想いだからやっていこうと。
そしてメンバーは海士町に対しての想いもあり、隠岐への想い、地球への想いもある。その中で、島ファクトリーという会社は海士町だけではなく、隠岐にというフェーズに移り変えていきたいという想いがあります。
(青山さん)そうだね。会社として、海士町だけでなく隠岐として戦っていくところに舵を切ろうとしたタイミング、フェーズが僕と完全に一緒だったんだなと思ってる。
肥留川くんはどうですか?
(肥留川さん)島ファクトリーは地域の課題、困りごとを解消するためにということで立ち上がった工場。それをいろんな解釈で消化されていった今、島ファクトリーのメンバーでは「誇りある下請け」という解釈になっていったと思うんです。この表現がすごく好きで。
客室清掃も、リネンサプライも。最前線に立つ仕事ではないかもしれないけど、そこにいる人たちが価値を発揮することで最前線の人たちの仕事のクオリティが何倍にもなる仕事をしている。要になっているということを自負すると、自分たちのモチベーションが全て変わっていく。
(青山さん)あのときの10分間の立ち話から、リネンをやりましょう!と興味を持って来てくれた。
僕自身もリネンサプライは愛着のある仕事。ずっとこの仕事やっていたいと思ってる。でも、自分よりもこの仕事に熱量高くやってくれる人ってなかなか出会えない。
宿泊業も、環境のことも含めて、地域においてリネンサプライがどうあるべきか、これからの未来を自分以上に熱量高く向かう人に初めて出会った。
最初は正直、新しく起業したほうがいいんじゃないかな?と思ってたんだけど。
でもこの半年間、リネン工場を責任者を任せていたときリネン工場のメンバーが「なんかすごいチームができた」という感じになってて(笑)
島ファクトリーのスタッフが肥留川くんのビジョンや価値観を信頼していて、チームというのがものすごい加速していた。
「この人が起業したら、このメンバーみんなそっちにいくんじゃない…?」みたいな(笑)もちろん、それはそれでいいなと思いつつ。
(肥留川さん)自分の中で大事にしている価値観と、島ファクトリーが大事にしている価値観に重なりがありました。
半年やってきて。自分の仲間がここにいるんだ、この仲間たちとやっていくんだという方が自分ごとになるんじゃないかと思えました。
(肥留川さん)ただ、会社として課題を解決するだけでなくて、新しい価値を作っていくフェーズにいく必要がある。そうなった時、この工場をいろんなものを解決する工場ではなく、新しいイノベーションを起こしていく工場にしていきたい。
「水として新たなものと混ざって化学反応を起こす。」未来に向けてイノベーションを起こしていくということが会社として大きなタイミングなのではと思っています。
(青山さん)その感じは今の2人を見ていても感じているし、すでにこの1ヶ月で変化が起き始めている。
合宿を1月と6月にやって。島ファクトリーってどういう会社なんだっけ?という話になって出たキーワードが「水のような会社である」ということば。
このことばがみんなの腹に落ちた。
(青山さん)地域ってよく風の人、土の人、と表現されるけど、自分たちは風でも土でもない。地域に根を張りながらも、水のように柔軟に流れるように、ということを島ファクトリーとしての大きな方向性になったかなと。
(青山さん)旅行業って戦略的な仕事、鷹の目のように空中戦と捉えることができる。リネンサプライやクリンネスは、手と足を使って、アリの目のようにミクロな視点で捉えていく。
この仕事を「鷹の目、アリの目」のように行ったり来たりできることが島ファクトリーの強み、というのは全メンバーも思っていた。これを分けてしまったら島ファクトリーにとってシナジーを生むんだろうか?と思ったとき。それぞれの視点を掛け算できたほうが、強くなれるんじゃないかと。
そして、2人が覚悟を持った人だから。
どちらかが上、下ではなくて一緒に会社経営してみたらどうだろう?と提案してみた。
でもこの2人だったら、ぶつかるところはぶつかれるし、繋がるべきところは繋がれると思ったので任せてみようと思えました。
想像していない未来を、次世代につないでいくバトンを
島ファクトリーの新たな姿。お二人にバトンを渡す今の気持ちを、そしてそのバトンを受ける今の気持ちをお話しいただきました。
(青山さん)今託せるなと思っているのは、僕は島ファクトリーの未来を想像できていないからです。
僕が想像していない未来を、2人は作ってくれるということに確信と信頼があります。僕が想定している未来を想定内でやってくれそうだったら、多分バトンを渡していなかった。
でも、もうすでに半年で2人は想像超えてきてくれている。
その未来は大変なこともあると思う。でもそれをひっくるめて、自分たちで引き受けてくれている2人、そしてメンバーがいてくれるということ。すごく楽しみです。
(藤尾さん)私と肥留川さんって面白いコンビだなって。似てるところもあるけどちがうところもある。正直私も想像ついてない部分もあるんですけど(笑)
(青山さん・肥留川さん)あはは(笑)
(藤尾さん)でも楽しめる気がしています。そして、それを支えてくれる人の顔が浮かんでくる。島ファクトリーのスタッフや地域のみなさんの顔がはっきりと浮かぶんです。
私は20代の2人でこういう挑戦をするというのは、今まで島を作ってくれてきた人たちへの恩返しでもあり、次の世代へ繋いでいくことなんじゃないかと思っています。
海士町の方や、隠岐の先輩方に恩返しをしていく。そして次の世代に背中を見せて、自分たちがこのバトンを、また次の世代につなぐことを大事にしていきたいと思います。
島ファクトリーの変化、そして一人ひとりの新たな挑戦。
水のように柔軟に、流れるように。
島ファクトリーのバトンが今、受け渡されます。