料理を出すだけじゃない。目指すのは“場づくり
菱浦港のほど近くに、「きくらげちゃかぽん Motekoiyo」という不思議な名前の食堂があります。海士発祥の民謡「キンニャモニャ」をご存じの方ならば、「あ~、あの民謡の歌詞ね」とピンと来るはず。でもご存じない方には意味不明の呪文のような言葉ですね。
ちょっと奇抜で長いネーミング。ほとんどの観光客は一度聞いただけでは覚えられません。
「でも、これしかない!と思えて。周りの反対を押し切って命名しちゃいました」
と照れ笑いを浮かべるのは、店主の五十島(いそじま)美香さんです。
東京都出身で、2016年の春に山梨県上野原市から海士町へIターン。移住後は海士町社会福祉協議会の職員として介護の仕事に就き、2020年3月に退職。同じ年の夏に「きくらげちゃかぽんMotekoiyo」(以下、ちゃかぽん)をオープンしました。
ちゃかぽんの売りは、ボリューム満点の家庭料理です。基本は一汁三菜の定食スタイルで、ご飯は海士の本氣米。白米と玄米から選ぶことができる上、モリモリ食べたい方には+80円で、「た~んとおあがり!」とばかり昔話に出てきそうなほどの大盛りにしてくれます。
野菜や海藻はほぼ島素材で、味噌は隠岐の糀を使って美香さん自身が仕込んだものを使用。精製塩や精白糖は使いません。器は、海士の隠岐窯、松江の湯町窯、出雲の出西窯といった手仕事の逸品を自分の目で見て厳選しています。
とにかく店主のこだわりがギュッと詰まったちゃかぽんの手料理は「おなかも心も満たされる!」と好評で、常連に愛される人気の食堂となっています。
…が、しかし。
このちゃかぽん、美味しいだけの店にあらず。最初から“ただの食堂”を目指してはいないのです。
「まだまだ、野望の10%も出来てないですよー!!やりたいこと、多すぎー!」と美香さん。どうやら「ちゃかぽん」という場所を通じた壮大なチャレンジの途中のよう。
店のキャッチコピーは、“わたしにつながるごはん 人とつながる料理”。いったい何を目指しているの?この島で、どんな場所をつくりたいの?その情熱の原点と、ちゃかぽんにかける想いを探るべく、お話を聞いてみました。
おばあちゃん達との出会いに心震える
移住前はフリーのエディトリアルデザイナー。出版物の編集やデザインに約25年も携わりましたが、目を酷使する仕事であるため視力の低下が激しく、もともと「長い人生、ずっと情熱を注ぎ続けられる職業がいい」という思いが強かった美香さんは、思い切って転職を決めました。
「好きな仕事でしたが、こんなに目がつらくては続けていけないと割り切りました。不思議と『やり切った!』という気持ちになれたので、ちょうど人生の分岐点だったんでしょうね。その頃、息子の麟信(りんと)の教育環境のために転校を検討している時期でした。麟信がかつて『島の子になりたい』と言っていたことを思い出して、ネットであれこれ検索していたらたまたま海士町を発見。2015年の秋に有楽町でやっていたU・Iターンフェアに行ってみると、海士町ブースでは、海士町社協の人と役場の健康福祉課長が待ち構えていて。いろいろ質問するうちにあれよあれよと話が進み…いつのまにかその気になり…これ、海士町のIターンあるあるですよね?(笑)その翌年の春には移住していました」
コンビニもスーパーも無いことが売り(?)の海士町。都会的な利便性の乏しさに最初は面食らう移住者が多いのですが、美香さんは違いました。
「とにかく便利!!感動しました。ここは楽園かと」 …これはなかなかレアな反応!聞けば、以前住んでいた上野原市はものすごく坂が多く、通学には自転車と徒歩で片道1時間20分もかかっていたのだとか。視力が弱いため自動車を運転できず、主に自転車で移動するので、坂が多い地域は大変なのです。
「電動自転車がね、山梨では行きたい場所へ1往復するだけで充電が必要だったんですけど、海士町では1回の充電で1週間もつんですよ。島の規模が小さいから学校も郵便局も近くて便利。コンビニはもともとそんなに行かないので無くても困りません。海士へ移住して気づいたのは、『これまで私、疲れる暮らしをしていたんだな』ということです。とにかくこの島へ来てから生活がめちゃくちゃラク~」
新しい職場も「とても恵まれていた」と言う美香さん。社協で保健福祉センターひまわりの居住者を担当する介護職員になり、高齢者と日々触れ合う中、多くの感動と学びがありました。
「80~90代のおばあさま達が素晴らしい方ばかりで。最初は海士弁もよく分からないし緊張していたんですけど、お話を聞けば聞くほど筋が通っていて、思いやりがあって、たしなみ深くて…人として尊敬できる。私はバックグラウンドに興味がわいてしまうタチでして、こんな素敵な人たちを育んだのは海士町なんだな~と思うと、ますますこの島が好きになりました」
福祉の仕事に大きなやりがいを感じながら働く一方で、一抹の不安もありました。視力です。
目が悪いと、例えば入浴介助の時などに、観察して発見するべき何かのサインを見逃す可能性が高くなります。介護に真剣に向き合うほど、視力の弱い自分が関わることにためらいを感じるようになりました。
「勉強して福祉の資格も取ったけれど、現場で役に立てないならきっと長くは続けられない。じゃあ、どうするか。自分には他に何が出来るのか、何をやりたいのか。考え続けて辿り着いたキーワードが『食』でした。食べることが大好きでしたし、趣味でも同好会でもいいからきっと何かやれるはず、と」
料理を出すだけじゃない。目指すのは“場づくり”
残りの人生のテーマは『食』、しかも『家庭料理』だー。
ぼんやりとした思いが確信に変わったのは、保々見(ほぼみ)地区で参加した研修でした。
数年後の「ちゃかぽん」誕生につながる原点とも言える体験。その研修の内容は、保々見のおばあちゃん達にじっくりヒアリングし、料理を教わりながら一緒に作り、みんなで食卓を囲んで料理にまつわる思い出やエピソードを聞かせてもらうというもの。
「お父さん(=ご主人)が甘党だからうちのぼたもちはこんなに大きくなっちゃったのよ~とか、畑仕事が忙しかったからお昼はいつも“ばくだん”(海苔でくるんだおにぎり)を夫婦で頬張っていたよ~とか。何でもない日常のごはんの裏側には素敵な愛のストーリーがあるってことに気付かされて、家庭料理って尊いな~としみじみ。自分たちを作っているのはお母さんの手料理なんだなって心から納得できました」
家庭料理を軸に、何かを…と決めたものの具体的なプランはまだ一切ナシ。
介護職も続けながら、とりあえず出来ることからやろうと、保々見の研修で繋がった仲間たちと一緒にごはんを作って食べる会を始めました。最初は3人だけだったメンバーもじわじわと増え、やがて「おきのて」という名の団体に成長。2018年11月の産業祭を皮切りに、町内の様々なイベントで「おきのて」の屋号で出店するすようになりました。
「おきのて」の「て(手)」には、手から生まれるものを大切に暮らそうという意味と、手をつなごうという意味も込められています。
「2017年にソーシャルデザインのセミナーを受ける機会があり、食を通じて地域づくりを考えるという視点を学びました。その後ごはん会が定例化して仲間が増えて、「おきのて」の活動が始まって…私の中でじょじょに『“食”を真ん中にした場づくり』をしたいという気持ちが固まっていきました。港の近くにこんなお店を作って、こんなことが出来たらいいな~と具体的に思い描いて紙に書いたりしていたら、なんと理想通りの物件が見つかったんですよ。すごいでしょ!自分でも怖くなりましたけど(笑) 波に乗るのは今だと覚悟を決めて準備を進め、社協を退職して、2020年初夏にちゃかぽんをオープンすることができました」
開店後は、食事を提供するだけではなくワークショップ形式のイベントも不定期に開催。味噌を手作りしたり、ふくぎ(クロモジ)で染め物をしたり、時にはフィールドへ出てタケノコ掘りをしたりとあれこれ仕掛けてきましたが、特に思い入れが強いのは「思い出ごはん」のシリーズです。料理の背景にある温かいストーリーを大切にしたいという、ちゃかぽんの原点にある想いをそのまま形にしたイベントで、毎回違うゲストシェフが、その人の人生で特別な意味をもつ思い出の料理を作ってちゃかぽんのメニューとして提供します。
2022年3月11日の思い出ごはんでは、隠岐島前高校を卒業したばかりの島留学生、“ありぽん”こと高本亜梨紗さん(熊本県出身)がゲストシェフ。高校3年間を過ごした鏡浦寮、1年間の休学中にお世話になった浅井家、実家である高本家。この3つの大切な場所で出会った思い出の料理を作りました。
ありぽんは在学中から美香さんと親しく、ただのお客を超えた間柄。ちゃかぽんでの食事券セットを海士町のふるさと納税の返礼品にしようと、島前高の後輩らと協力して町に提案し実現させたという実績もあります。そんな彼女が心をこめて作る特別なごはん。いろんな思い出や美香さんへの感謝、ちゃかぽんへの愛も目一杯つまった定食は、まもなく島を出てゆくありぽんの見事な“卒業制作”となりました。
実は人づきあいが苦手。「気軽にごちゃまぜになれたらいいな」
家庭料理を中心に据えるのともう一つ、ちゃかぽんをつくる上で美香さんがこだわったのは、“人と繋がりやすい場所”であること。なぜなら、自分自身が繋がれなくて悩んでいたから。移住当初は地域住民との接点も少なく、Iターンと地元民との交流の壁を感じることもしばしばあったそうです。
「実は私、人づきあいが苦手なんです…。人が好きだけど、人づきあいが苦手。面倒くさいでしょ(笑) 繋がりたくても繋がれない気持ちが私には分かる。だから、私みたいな人でも交流しやすくなるような、“繋がる装置”みたいな場所が欲しい。無いから作りたい、と切実に思いました。だからちゃかぽんを、銭湯みたいな場所にしたいんです!!」
せ、銭湯?! その心は?
「いろんな人が来て、楽しみ方は自由。ひとりでも大勢でも。リラックスして疲れが取れて、ちょっと機嫌が良くなって帰る、みたいな。だからちゃかぽんには本も漫画もあるし、珈琲だけでも大歓迎なんですよ」
今ではお客さん以外にもいろんな人が気軽に訪れるちゃかぽん。店内の棚を作ってくれた島の大工さん、村井宏さんも美香さんを応援する一人で、ちょくちょく来店しては自分の畑で栽培している無農薬野菜をプレゼントしてくれます。
さて、ここで思い出していただきたいのは店名へのこだわり。
「きくらげちゃかぽん Motekoiyo」の元ネタは海士民謡キンニャモニャの歌詞ですが、その囃子ことば「きくらげチャカポン持ってこいよ~♪」の意味は、「キクらもチャカらもちょっと来いよ(キクさんもチカさんもみんなおいでよ)」なのだそうです。(海士町の公式ホームページ「キンニャモニャ宣言」より)
店名に込められた想いは、さぁみなさんここへ集まって一緒に楽しく過ごしましょうよ、という願いなのです。ちゃかぽんが、お客さんも店主自身も多様な繋がりを実感できる場所に育ちつつあるのは、この言霊のおかげなのかもしれません。
アートが大好きな美香さんは、「ちゃかぽんで作品展をしたい!公募して写真展をしたい!“島まるごと美術館”をやりたいー!」等々の野望や妄想が尽きません。ただ、最も優先したい目標は「地域の人に愛される店になること」だそう。
「そのためには時間がかかって当然だし、長くお店を続けるためには経営が大事なんだけど、だからといって儲けに走るのではなく、地域の人との関係性を築くことを一番に考えたい。初心を忘れず、私がやりたい“場づくり”を誠実に続けていくのみです。経営的にも、シーズンオフがある観光客とは違って地元民に愛されるほうが本当に強い店になれるはず。結局は繋がりこそが、店も、私も、強くしてくれるんだろうなと信じています」
視力の弱さや交流が苦手という一見ネガティブな要素も卑下することなくフラットに受け入れて、「あってほしい場所」 「自分が見たい世界」へとじりじり近づいていく美香さんは、優しく、しぶとく、たくましい。
その生き方は、まさに“ないものはない”の王道と言えそうです。
【書き手よりひとこと】
逆境や悪条件の中でも「じゃあ、自分には何ができる?自分の何を活かせる?」と考え抜く。これこそまさに「あるものを活かす」=ないものはない発想。しんどくも前向きなこのプロセスをくぐり抜けると次のステージに行けるんだ、ということを証明してくれて有り難う!と伝えたいです。ちゃかぽんも美香さんも大好き。引き続き、ごはん特盛りお願いします(笑)
(written by:小坂まりえ/フリーランスライター)