小さなときめきに耳をすませて
25歳にして初めて経験した釣りに感動し、いきなり「よし、漁師になろう」と決意する女子が世の中にどれだけいるでしょうか。しかもそれから1年も経たないうちに離島へ移住し、実際に漁師になってしまう女子が。
海士町には少なくとも一人います。海士町複業協同組合で働く、山郷(やまごう)志乃美さん(埼玉県出身)です。
「爆釣だったわけでも大物を釣り上げたわけでもなく、20cmくらいのカサゴでしたけど(笑) 私の中で何かが変わるほど嬉しくて…」
初めての釣りは2020年5月、大学院修士2年めの頃。当時学んでいたのは臨床心理学です。臨床心理学は、心の問題で悩んでいる人の心の回復を手助けするための専門的なカウンセリング技法を学ぶ学問分野。山郷さんによると臨床心理学の世界では「カウンセラーのクライアントは自分自身」とも言われ、まずは自分の心と徹底的に向き合うことが大前提なのだとか。そのような“内なる声”を聴く訓練をしてきたからこそ、釣りで感じた純粋なときめきを無視せずにすくい上げることができたのかもしれません。
海と関わる感動をもっと味わいたい、だから漁師になりたい、という衝動をスルーできなかった…いや、スルーしないほうを選んだ山郷さんは、その後インターネットであれこれ調べ続け、海士町に新しくできたばかりの複業組合を発見。その基本コンセプト「働き方をデザインする」という考え方が「すごくいい!」と、またも煌めく直感をキャッチします。
さらにその海士町が、従来の常識にとらわれない斬新な産業振興策や教育改革などの挑戦を続けている島であること、地方創生の最先端として注目を集めていることなどを初めて知り、ワクワクは募る一方。複業組合に入れば定置網漁業にも従事できるとあって、「私が漁師に挑戦するのはこの島だ」と腹をくくって求人に応募し、面談を経て採用決定。
2021年4月、“海なし県”埼玉から、周りには海しかない離島・海士町へとIターンしました。
“海寄り”のマルチワーカーとして働く
マルチワーカーとは、いくつかの企業や組織で仕事をもつ人のこと。メイン(本業)に加えてサブの仕事もする“副業”とは異なり、複数の仕事を組み合わせて同時並行的に行う“複業”です。
人口約2300人という過疎の離島である海士町では各産業の担い手不足が深刻ですが、島でマルチワーカーを増やせれば、人材不足を解消できる。自分好みの柔軟な働き方をしやすい環境があれば、都会からのU・Iターン者もきっと増える。そんな狙いから、2020年10月、全国初の取り組みとして複業組合が設立されました。
複業組合の職員は、各人の希望と現場のニーズとを調整して島内の各事業所へ派遣されます。島では季節ごとに忙しい産業が変わり、例えば養殖岩がきが旬を迎える春には岩がきの工場。春からの観光シーズンにはレストランやホテル、観光協会。白イカが獲れる夏~秋や、シマメ(=スルメイカ)が旬の冬~春には定置網や水産加工の工場が忙しくなります。よって複業組合では季節に応じ、人手が足りない場所に職員を派遣することで労働力の需要に応えていきます。
職員にとっては、あくまで自分の興味や希望をベースに季節とともに職場を変え、島内の事業所をめぐるようにいろんな仕事を掛け合わせて、その人なりの人生を“編んでいく”ようなイメージ。その意味で、複業組合の働き方は“AMU(編む)WORK”と名付けられています。
移住して漁師デビューを果たした山郷さん。ただし、マルチワーカーであるからには、ずっと漁師として働くわけにはいきません。数ヶ月で職場を変えるのが複業組合のルールです。
1年目のサイクルは、2021年4月〜6月が大敷(おおしき)と呼ばれる定置網漁。続く7月〜12月は、海士町漁業協同組合が運営する鮮魚店「大漁」。そして1ヶ月のリトリート(=休養を取りながら心身をリセットする期間)を挟んで、2022年2月からは隠岐島前森林組合。
「漁師になりたいからといって、女がいきなり個人の漁師さんに弟子入りするのはすごく覚悟がいるし、さすがにハードルが高いと思いました。その点、複業組合の仕組みであればチャレンジしやすい。そこが良かったんです。とは言え、これまで男性社会といわれてきた定置網漁に女である私が挑戦するのは島でも初めてのことだったようですが…大敷の皆さんはとても親切で、何でも丁寧に教えてくれました。私の希望を受け入れていただき、有り難かったです」
大敷では、漁以外にも出荷作業や網の修理など、現場の仕事を一通り経験。それを踏まえて次の職場に選んだのは、漁師と消費者を繋ぐ存在である漁協の鮮魚店、大漁です。
大漁での上司は、「魚へのパッションが凄すぎる。まさにプロの魚屋さん!」と感銘を受けたという藤澤裕介さん。魚の扱い方や捌き方の徹底指導を受けて技術が劇的にアップしただけでなく、旬の魚ごとの美味しい食べ方から魚の生態に至るまで、魚にまつわるあれこれを幅広く教わったそうです。
さらに次の職場には、海から一転、山の現場で働く森林組合を選択。その理由は、“森は海の恋人”という有名な言葉が示すような、海と森林との繋がりを現場で理解したかったから。自然はひとつらなりであること、大きな生命のサイクルを感じとれるようになりたい、と考えたからです。
島暮らしの達人たちから学ぶ
働き方のデザインには、もちろん休み方も含まれます。何日休むか、どう休むか。
「最初は疲れてボーッとしていることが多かったです…」と振り返りますが、2022年に入ってからは「もっと暮らしを充実させたい」と心機一転。いつも声を掛けてくれる隣の元気なおばあちゃん、八幡さんから2月に畑を借りて、教えを請いながら土づくりを開始。まずはジャガイモとニンジンを植え、収穫する日を楽しみに畑の世話を続けています。
さらに、島の高齢者に大人気のグラウンド・ゴルフ(=専用の木製クラブでボールを打ち、ゴールまでの打数の少なさを競うゲーム)にも参加。晴れた休日には地域のおじいちゃんやおばあちゃん達に混じって、近所にある宮の原公園(宇受賀地区)で一緒にグラウンドゴルフを楽しむようになりました。
「地元の人たちと親しくなって話を聞く中ですごく驚いたのが、皆さんの『作る力』です。この島にはないものはないっていう言葉がありますけど、まさにそれ。家でも船でも、身近なものだとそのへんに生えてる草を乾燥させて野草茶を作るとか、手に入る材料であれこれ工夫して自分で作っちゃうってすごすぎます!!私もそういうことが出来るようになりたい」
島民の日常にあふれるクリエイティビティに刺激を受けた山郷さん。ある日、部屋の模様替えをしていたら、ふとステンドグラスの電球が欲しくなりました。インターネットで探してみたけど良いものが見つからない。そこで思ったことは…
「自分で作ろう、って閃いちゃったんです。作りたい、作ればいいじゃん!って。何でも作っちゃう島の人たちに感化されたんですかね?(笑) でも確かに、都会にいたらすぐ買って解決していたかも。既成概念にそのまま従うのはイヤ、っていう感覚は前々からあったんですけど…既製品が無いなら新しく作ろうっていう姿勢は、この島に来てから培われましたね」
自分好みの電球を作るために、ステンドグラスの手法を学びたい。そんな考えから発展して、「いつか専門的にアートを学んでみたい」という目標まで生まれてしまったそうです。
人生は自分で選びとり、つくるもの
「私にとっての豊かさとは、お金ではなく、自分が自分であるということです」と断言する山郷さん。言い換えれば、何事も自分で選び、真に自分らしい人生をつくってゆくことこそが私の幸せなんだということ。そのために、周りからの圧や世間の常識には左右されず、「この思いは純粋な私の気持ちであるかどうか」、「違和感が無いかどうか」を常に意識しているそうです。
純粋なときめきで選んだ、離島で漁師にチャレンジするという道。
当初の想いは少し形を変えて、今も生きています。
「現場では多くの出会いや学びがありました。今後の仕事や働く場所についてはまだ決めかねていますが、私の人生において漁業にはずっと関わり続けたい。常に漁業関係者という意識でいたいです。『半農半X』が有名ですが、『半漁半X』を目指すのも面白いかもしれません。複業組合のマルチワーカーを実際に経験したことで、働き方すら『自分で作る』ことが出来るんだという可能性を感じられたことも大きな収穫でした。まだ実現はできていないんですが…。自分に一番しっくりくるライフスタイル、私が豊かだと思える人生を、つくっていきたいです」
自分軸を大切にする一方、「他者との関わりによって自分が変わる、その余白を空けておきたい」とも語ります。変化を楽しめる柔軟性がなければ、出会いと交流を糧に成長していくことはできない。これも海士町で実感したことです。
融通無碍に転がり続ける山郷さんはまるで、意志のあるローリングストーン。
転石苔むさず。(もちろん良い意味!)
ピュアな“ないものはない”魂は、ますます勢いと輝きを増していきそうです。
【書き手よりひとこと】
“好き”のセンサーが敏感な山郷さん。普通の人がなかなか外せないストッパーがいい塩梅に壊れていて、うらやましいほど自由です!この先どこへ向かうのか、おそらく自分でも分かっていないでしょうけども(笑)、彼女はとにかく楽しそう。そして自分のポテンシャルをどんどん高めていることも確か。
“ないものはない”は、自分スタイルで人生を楽しむ極意でもあるんですね。
(written by:小坂まりえ/フリーランスライター)