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海士町みんなのnote

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海士町のみなさんが更新されているnoteや、海士町のことを書いてくださったnote、#海士町のnoteなどをまとめています。
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#離島にもっと若者の還流を

海士町みんなのnoteをご紹介!自然体の海士町をお届けします。

海士町で暮らし働いているみなさんや、移住されたみなさんがnoteを更新されています。海士町のみなさんのnoteを通じて、島の様子を知ることができたり、自分が知っていることとは違った視点で、海士を見ることができるかもしれません。 「海士町みんなのnote」マガジンで、海士町でのできごとや取り組み、施設・事業所の情報、イベントなどを知る方法の1つとして活用いただけたらなによりです。 それでは、「海士町みんなのnote」に掲載しているみなさんをご紹介します。 海士町の事業所や

旅好きな彼の島暮らし。記憶と地域を辿り、第二のふるさとを感じる。

大阪で6年間勤めた会社を辞めて大人の島留学へ。 趣味は旅をすることだという彼が、観光ではなく実際に島で暮らし、働くからこそ得られた出会いや発見とは。 R6年度、大人の島留学生として海士町に来島。 海士町教育委員会の伝承郷育係の一員として働く光枝玄さんにお話を伺いました。 コロナ禍を機に、都会を離れてのんびり穏やかな地方へ海士町での今の所属先は、教育委員会の伝承郷育係。これまで注目されてこなかった海士町の歴史や文化を掘り起こし、地域の魅力を人々に伝えていく活動に取り組んでい

思い描いていたキャリアだけじゃない。「知る」という時間が気づかせてくれたこと。

大学休学中の4年生。 海外へ留学するつもりが、気づけば海士町で9カ月。 大きなプロジェクトに携わり、たくさんの人と出会った彼女がこの島で得たものとは。 R6年度大人の島留学3ヶ月生(4-6月期)として海士町に来島。 海士町役場総務課に所属し、新庁舎魅力化プロジェクトの一員として働いた、磯村佳凛さんにお話を伺いました。 海外ではなく、留学先は海士町。磯村さん: 私の大学は休学する人が多くて、外国語大学なので大体の人が海外へ留学に行くんです。私も1年間休学して、今年の夏に語学

離島で描く、自分らしいキャリアと地域の未来 〜デロイト トーマツ コンサルティング×大人の島留学~【イベントレポート】

2024年11月24日に、 大人の島留学トークイベント『デロイト トーマツ コンサルティング×大人の島留学 離島で始まる若者のキャリアづくり‐共に創り上げる地域とキャリアの未来像‐』が渋谷QWSで開催されました。 ゲストには、2023年より海士町と包括連携協定を結んでいるデロイト トーマツ コンサルティング合同会社(以下、DTC)から3名の方のご登壇いただきました。 大人の島留学とDTCでは、2024年度から新たなキャリアづくりの一環として、大人の島留学に向けた「キャリア

島留学と人 りん-001 2024/10/19

悩める若者に送ります。 海士町という島に今年2024年3月に初めて訪れて、その後8月にまた訪れて。なるほどこういう島かみたいな大枠は得た。 でも、その島で暮らす人の、心の動きを追うという定点観測はまだできてなくて、で今回ある島留学生の協力を得て、それしますよ。qbc備忘録として。 インタビュー本文に入る前に、「島留学生」とはなんぞや、という前提を読んでいただきたい。 島根県の離島、隠岐島前地域(海士町、西ノ島町、知夫村)で行われている、外部から人を呼んで期間限定で生活し、働

大人(20〜29歳)の島留学制度があるらしい

こんにちは!アーキロイドの福井です。 Hさんの高校生の娘さんが、隠岐島(オキノシマ)に島留学したという話を聞いたのが数年前。東京のど真ん中で生まれ育ち、進学校に通い勉強に明け暮れている日々を少し聞いていたのでびっくりした。島留学の話を調べてきたのは娘さんのようで、面白がり(超)上級者な母Hさんは、付き添いで隠岐島へ。 (移住希望者80組ほど待ちがあるんだとか…!) (隠岐島での面白いお話は、どこかでHさんにまとめて欲しい…!) あっという間に時は過ぎ、娘さんは都内の大学

「私はなぜアナウンサーになりたいの?」人とのつながりを通して気付いたこと。

「どうして私はアナウンサーになりたいんだろう。」きっかけを見つけるために飛び込んだ大人の島体験。 仕事を通して気付いた、彼女が大切にしたいと思ったこととは? 令和6年度大人の島体験7‐9月生として海士町に来島。 海士町役場の総務課で働いていた福田妃那さんにお話を伺いました。 「私はなぜアナウンサーになりたいのか」理由を見つけたくて。高校生の頃から、人前で話すことが結構好きだなって思っていました。 そのときから、ぼんやりとアナウンサーには憧れがあって。 はっきりとアナウンサ

船旅魅力化プロジェクト 8月活動報告

こんにちは!船旅魅力化プロジェクトの伊藤です。 今回は、8月〜9月上旬にかけて実施した活動の内容についてまとめたいと思います。 ⇩プロジェクトの詳細は下記リンクから⇩ プロジェクトの目的と現状私たち船旅魅力化プロジェクトは、島根県隠岐諸島と本土を結ぶ船会社、 隠岐汽船株式会社(以下、隠岐汽船)を舞台に活動しています。 このプロジェクトで目指す目標、それは しかし、この目標を達成するにあたって隠岐汽船では 慢性的かつ深刻な人員不足が喫緊の課題です。 実際、我々プロジェ

「人と人としてつながること」島体験の3ヶ月で見つけた幸せ

「地元とも違うし、島って自分にとってすごくかけ離れた世界だった。でも、それに飛び込んでみたくて」 そうして大人の島体験に参画を決めた、彼女の3ヶ月とは? 令和6年度大人の島体験7-9月生として海士町に来島。 海士町社会福祉協議会「福来の里デイサービスセンター」と、「福祉×まちづくりプロジェクト」(以下福祉プロジェクト)で働いている、高倉明梨さんのインタビューをお届けします。 ある日、海士町の写真を見つけて 高倉さん: ある日インスタグラムを見ていたら、たまたま海士町

「島で仕事を作ってほしい。」全国から若者が集まる島で生まれた若者。

島生まれ島育ち。地元が無くなってほしくない。島で仕事を作りたい。 でも、自分の中での幹の部分は、まだ見えてないです。 ーー今年の5月から海士町役場 住民生活課で勤務している井筒 翔太(いつつ しょうた)さん。隠岐島前高校を卒業後、約8年間を島外で過ごした井筒さんが海士町に戻ってきた経緯や、井筒さんの島に対する思いを伺いました。 島で生まれ、島で育ちました。小中高と海士町で過ごした後、県内の大学へ。大学卒業後は東京のIT系の企業に就職したといいます。ーー 井筒さん: 幼少

「直感」が、わたしを動かした。大人の島留学2年目を迎えた、いま。

社会人6年目、勤めていた会社を退職し、大人の島留学に参画。 彼女が歩んだ1年と、その先は? R5年度大人の島留学生として海士町に来島し、その後、制度を延長。 滞在先を知夫村に変え、仕事も変わった佐藤華奈さん。 島前に来て約1年。 海士町で1年間暮らし、何を感じ、何を考え、そしてなぜ、4月から知夫里島で暮らすことを選んだのか。 島での生活を通して感じたことや、これからのことについて伺いました。  その日のうちに決断した、大人の島留学島に来る前は、地元の映画館でパートタイ

🚢船旅魅力化プロジェクト/7月活動報告

🚢船旅魅力化プロジェクトとは?⇩プロジェクトの詳細は下記リンクから⇩ 隠岐諸島と船旅の関係 島根県の北方60kmに浮かぶ約180の島々からなる隠岐諸島には、4つの有人島があります。隠岐の島町には、空港があるため空路を利用して訪れることができます。一方、西ノ島、中ノ島、知夫里島からなる島前地域には、空港が無いため島と島、島と本土は船によって結ばれています。 どの島も離島という特性上、船との関係性は超強力です。隠岐諸島、島前地域においては特に、船は人の移動のみならず、島の

その人に合った仕事や暮らしを一緒に考えたい×こども達の居場所としての駄菓子屋さんを

今回のゲストは、「都市と地方の大交流プロジェクト」と「福祉×まちづくりプロジェクト」のお二人です! 未来の地域づくりを形にしていき、各地で活躍できるステージを増やすことを目指す「都市と地方の大交流プロジェクト」と、 ウェルビーイングなまちづくりを目指す「福祉×まちづくりプロジェクト」。 果たして、どんなトークが繰り広げられたのでしょうか? ここでしか聞けないお2人の話、ぜひ覗いてみませんか☕ (Youtubeのアーカイブ) 自己紹介 本日のトークテーマは「わたし今、

「これが出来た」を見つけたい。島で暮らして2か月の今、思うこと。

佐藤千夏さんにお話しを伺います。 海士町を推してる友達の話を聞いて、島体験へ。 大学生の頃からなんとなく海士町について聞いたことはありました。 今年の3月に大学を卒業したんだけど、就職もせず大学を卒業する私を先生が心配してくれて、地域おこし協力隊や海士町の記事を送ってくれて。 その先生は海士町に関わりのあるJICAの方だったから、海士町をそこで色々知りました。 でも、どれがいいのか、どこも同じように見えて。 決め手になったのは今年の5月のGW。 1年越しに再開した友達が