マガジンのカバー画像

海士町みんなのnote

2,257
海士町のみなさんが更新されているnoteや、海士町のことを書いてくださったnote、#海士町のnoteなどをまとめています。
運営しているクリエイター

#島根

海士町みんなのnoteをご紹介!自然体の海士町をお届けします。

海士町で暮らし働いているみなさんや、移住されたみなさんがnoteを更新されています。海士町のみなさんのnoteを通じて、島の様子を知ることができたり、自分が知っていることとは違った視点で、海士を見ることができるかもしれません。 「海士町みんなのnote」マガジンで、海士町でのできごとや取り組み、施設・事業所の情報、イベントなどを知る方法の1つとして活用いただけたらなによりです。 それでは、「海士町みんなのnote」に掲載しているみなさんをご紹介します。 海士町の事業所や

なんとなくで生きてきたけど、このままじゃいけない。「離島に行く」と考えた時点で、めちゃくちゃ大きな第一歩。

「なんとなくで生きてきたけど、このままじゃいけないと思いました。」 社会人2年目、ビストロの店員として働く横内さん。現状維持への強い不安を胸に、価値観を吸収しに大人の島留学への参画を決意。来島して2週間、大人の島留学を通してどんな感情を抱いたのでしょうか。 R6年度、大人の島留学1月期生として海士町に来島。 海士町観光協会で働いている横内ひなたさんにお話を伺います。 なんとなくで生きてきた毎日。どうして島留学への参画を決めたのか大学では心理学を専攻していました。 みんな大

自分の心が動く方向へ。ゼロから探る、あたらしい地域福祉のかたち。

新卒で就職した地方自治体に3年間勤務した後、より地域の方の顔が見える働き方を求めて大人の島留学へ。ゼロからのチャレンジで地域福祉の可能性を模索するなか、今、彼女が感じる自身の変化とは。 R6年度大人の島留学生として海士町に来島。 福祉×まちづくりプロジェクトに所属する野田実優さんにお話を伺いました。 子ども時代の記憶が育んだ、「地域のつながり」への想い。大学卒業後に就職した先は、自治体の生活保護の部署。大学で社会福祉を専攻していましたが、福祉だけにとらわれない観点からまち

ふくぎ茶を未来へ

以前の投稿で海士町社会福祉協議会の障がい支援部門であるさくらの家についてお伝えさせていただきました。今回はそこで作っているふくぎ茶やふくぎの湯などの製品と、その製品をこれからも作り続けていくために種子からふくぎの森を創っていく様子をお伝えしたいと思います。 「ふくぎ」ってなに?ふくぎとは海士町での通称で正式名称はクロモジといい、西日本を中心に自生しているクスノキ科の落葉低木です。あまり馴染みがない地域も多いですが海士町では葉や枝、花はノンカフェインのハーブティーに加工され、

満州への想い 〜向日葵新聞 第二弾 前編〜

向日葵新聞第二弾となる今回、お話を聞いたのは満州生まれの高橋公世さんです。父親の仕事の関係で15歳まで満州で生活された高橋さんがどのような生活をされたのか、日本で戦時中を過ごされた方達との違いなどを聞いてみました。 満州の位置はわかりますか?皆さん、歴史の授業でよく聞く満州ですがどこにあったかご存知ですか? 現在の中国の東北部である黒竜江省、吉林省、遼寧省、内モンゴル自治区の東部を当時は”満州”と呼んでいました。この地域を昭和6年(1931 年)に日本は満州事変を起こし、侵

自分が求めていた以上のものがここにはある。森と、人と向き合う3か月間。

もっと自然に近い暮らしに寄せたくて、移住先を探すために大人の島留学へ。 森と、人と向き合い続けることで受け取ることがあった。 3カ月が終わろうとしている今、彼女はどういう思いで島にいるのでしょうか? 大人の島留学10月生として海士町に来島。 隠岐島前森林組合で働いている後藤千佳さんにお話を伺います。 もっと自然な暮らしに寄せたい。私に合う場所を求めて。 これまでは義足をつくる専門学校に行っていて、今は休学中です。 地元の東京から出て、「どこかに移住しよう」とずっと考えてい

自分たちの手でつくりあげる2か月間。島で働いて、暮らすなかで見えてきたこと。

野球に全力で打ち込んだ学生生活。就職後も野球は続けつつ、セカンドキャリアを見つめるために大人の島留学へ。 自分たちの手でつくる「リビングラボ」や、島での暮らしで周りの人と関わるなかで自分が求めていたことに気付いた今、どういう思いで島にいるのでしょうか。 大人の島留学10月生として海士町に来島。 AMAホールディングスで働いている田中丈さんにお話を伺います。 野球一筋の学生生活。就職した後のキャリアを見つめるために。中学3年生まで大阪で暮らしていて、高校生は奈良でひとり暮ら

旅好きな彼の島暮らし。記憶と地域を辿り、第二のふるさとを感じる。

大阪で6年間勤めた会社を辞めて大人の島留学へ。 趣味は旅をすることだという彼が、観光ではなく実際に島で暮らし、働くからこそ得られた出会いや発見とは。 R6年度、大人の島留学生として海士町に来島。 海士町教育委員会の伝承郷育係の一員として働く光枝玄さんにお話を伺いました。 コロナ禍を機に、都会を離れてのんびり穏やかな地方へ海士町での今の所属先は、教育委員会の伝承郷育係。これまで注目されてこなかった海士町の歴史や文化を掘り起こし、地域の魅力を人々に伝えていく活動に取り組んでい

この島にしかない仕事、この島だからできる暮らし🌊採用座談会開催!

こんにちは!島根県隠岐郡の離島、海士町(あまちょう)のAMAホールディングス株式会社です。 AMAホールディングスでは、2025年春から一緒に働く方を募集中です。 ▼採用募集の詳細はこちらから まずは、私たちの会社や島暮らしについてもっと知っていただくために、オンライン座談会を開催します! 「AMAホールディングスって何をしている会社?」 「島での暮らしってどんな感じ?」 そんな疑問にお答えするカジュアルなイベントです。リラックスしてご参加ください 😊 📅 開催日時

思い描いていたキャリアだけじゃない。「知る」という時間が気づかせてくれたこと。

大学休学中の4年生。 海外へ留学するつもりが、気づけば海士町で9カ月。 大きなプロジェクトに携わり、たくさんの人と出会った彼女がこの島で得たものとは。 R6年度大人の島留学3ヶ月生(4-6月期)として海士町に来島。 海士町役場総務課に所属し、新庁舎魅力化プロジェクトの一員として働いた、磯村佳凛さんにお話を伺いました。 海外ではなく、留学先は海士町。磯村さん: 私の大学は休学する人が多くて、外国語大学なので大体の人が海外へ留学に行くんです。私も1年間休学して、今年の夏に語学

離島で描く、自分らしいキャリアと地域の未来 〜デロイト トーマツ コンサルティング×大人の島留学~【イベントレポート】

2024年11月24日に、 大人の島留学トークイベント『デロイト トーマツ コンサルティング×大人の島留学 離島で始まる若者のキャリアづくり‐共に創り上げる地域とキャリアの未来像‐』が渋谷QWSで開催されました。 ゲストには、2023年より海士町と包括連携協定を結んでいるデロイト トーマツ コンサルティング合同会社(以下、DTC)から3名の方のご登壇いただきました。 大人の島留学とDTCでは、2024年度から新たなキャリアづくりの一環として、大人の島留学に向けた「キャリア

感謝を込めて2024年の海士町をふりかえります🙌

2024年も残すところあとわずか。 寒さもいよいよ本格的になってきましたね⛄ 今年を振り返ってみると、大祭、イベント、風景、新しいチャレンジ。 あらゆるできごとが思い出されます。 2025年を迎える前に、2024年の海士町に感謝をこめてーー。 それでは、1年をnoteで振り返っていきましょう✊ 1月 「ヤーハーハハー!」4年に1度の十日恵比須の大祭2024年1月は、海士町菱浦地区で十日恵比須大祭が斎行されました。 おたふくやたこ、シマメ(イカ)と一緒に子どもたちも舞って

目的はないけど一歩を踏み出してみたい。海士町に来たからこそ、広がった未来の可能性。

大人の島留学10月生として海士町に来島。 関係人口DXプロジェクトで働いている立花果奈さんにお話を伺いました。 目的はなかったけど、一歩を踏み出してみたくて。以前は児童指導員として学童で働いていました。 まだ働き始めて半年くらいしか経っていないんですけど、学童で小学校3年生くらいの子どもたちと一緒に遊んだり、あとは写真館で1年間くらい働いていて。七五三の写真を撮るアシスタントをしていました。 今年の目標が、「全く違うところで新しいことをしたい」ということ。 3年前に学生を

「夢」を見つけたくて海士町へ。ありのままの自分を受け入れてくれるこの島が好き。

大人の島留学10月生として海士町に来島。 海士町役場総務課で働いている、神津太一さんにお話を伺います。 高校卒業後からずっと夢が見つからなかった。自分を見つめるために島へ飛びこむ。高校卒業後から、ずっと自分のなかで夢というものが見つからなくて。 自分が興味を持ったもの、好奇心のその先が夢につながると思っているんですが、自分は興味を持てるものがあまりなかったんです。 なので、今までフリーターでアルバイトを転々としてきていました。 最初は野球の球場のスタッフを。そのあとに工場勤