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昔を知って、今を知る。ーEntôに至るまでの半世紀を振り返る
2021年7月1日。
日差しが強くとても暑い日にEntôは産声をあげました。
コロナ禍、不安がありつつも多くの方がEntôのオープンを祝うために足を運んでくださいました。簡単には書き表せないほどの経緯を経て生まれたこのEntôに、島の内外からこの日、たくさんの方が足を運んでくださったこと、この光景を見て感極まることがあったことをつい昨日のことのように憶えております。
あれから早1年。たくさんのゲストにお越しいただきました。Entôの前身である「マリンポート海士」「緑水園」とおよそ半世紀前から、同じこの場所でゲストと共に歩んできた歴史があります。更にこの島ははるか昔から流刑となった人々、大陸から渡ってきた人々をも受け入れてきました。そして共に生活する中でこの島では、異なる文化や思想に触れ、島の文化として育んできました。(一部抜粋)
Entô代表・青山敦士さんより
ジオパークの泊まれる拠点Entôは、オープンして1年が経ちました。1周年の記念イベントでは、隠岐 緑水園、マリンポートホテル海士、そしてEntôの3つ施設が立ってきた所在地「福井1375-1」をタイトルにした写真展が行われました。
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今回は、その様子とともにこの地で築かれた約50年間をちょっと詳しく振り返ってみたいと思います。
春たけなわ 磯の香り高いなかに開館
1971年3月17日、隠岐 緑水園は国民宿舎(自然環境に優れた休養地に建つ公共の宿)として完成しました。
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田部島根県知事や名越県議など、約120名の来賓のもと、盛大に竣工式と撤饌式(てっせんしき)が行われました。
撤饌とは、一般的に「お供え物」のことだそう。神前にお供えして神様に食べていただくことで、神霊の力が食べ物に宿り、それをおさがりとしていただくことで、そのお力を授かることができると考えられています。
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文豪小泉八雲(ラフディオ・ハーン)がこよなく愛し、鏡浦となづけた丘のうえにたち、白亜の宿舎がきれいな水に映える。だれかが隠岐の中禅寺湖と呼んだ島前内海、遠望の島後水道の眺望はすばらしく、ゆきかう隠岐ラインの白い船、おきじ丸、しまじ丸、がロマンチックな旅情を沿える。春は汐風が磯の香りを運び、夏は内海の鯛つり、秋は静かな史蹟めぐり、冬は素朴な語り合い、四季を通じて楽しめる宿舎である。
- 今日も晴れた遠くのかなたの白い雲が、胸中の人に覆いを走らせてくれる。人情の花さく国民宿舎隠岐緑水園 -
明治のころ文豪の小泉八雲が菱浦で清遊したとき、緑の家督山を背景に菱浦の港の美しさをたたえ、「鏡浦」となづけたエピソードがあるほど、緑の海畔にたち、3,000平方メートルの園地をもつ緑水園は自然に恵まれた土地にありました。
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マリンポートホテル海士オープン
1994年7月20日、隠岐 緑水園がマリンポートホテル海士に生まれ変わりました。
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平成6年8月から建設していた「マリンポートホテル海士」が完成し、7月20日(水)から第3セクター、株式会社海士が営業を始めました。
ホテルの開業によって、町の宿泊能力は量・質ともに向上しました。今後の観光客の増大、町の活性化の大きな原動力となるものと期待します。
当時、このマリンポートホテル海士が海士町の活性化につながるという大きな期待をうけていたみたいですね。
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緑水園は旧館として改修工事を行い建物自体はそのまま残され、新館としてホテル棟が隣に建設されました。
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夏休みに入っていたこともあって、営業初日から100人を超える宿泊客が続き、8月末までは、予約でほぼ満室の状態だったとのことです。客室はどの階からも窓外に海が広がり、リゾート気分を満喫できるホテルだったようです。
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新しいホテルの構想
今から約7年前、マリンポートホテル海士別館の老朽化が進んでいたので、いよいよ建て替えを検討するとき、ちょうど同じタイミングでジオパーク拠点施設を海士町に作るという話があがっていました。
それぞれの場所に施設を作るよりも、ホテルの一部分にジオパークの展示スペースを作ることで、このホテルを海士町の玄関口として、ジオパークの拠点施設でもあり、宿泊施設でもある形にリニューアルするのがいいのではないかと思っていました。
そこで考えられたのが、隠岐ユネスコ世界ジオパークの拠点施設と島前カルデラの絶景をありのままかんじることができる宿泊施設の2つを併せ持つ複合施設。その構想段階の貴重な資料の一部を公開します。
構想時から変わっている部分も変わっていない部分もあります。ぜひその違いを見つけてみてください。
そこにしかない ”隠岐らしいホテル” を隠岐の様々な ”つながり” で実現
具体的に、どんなホテルにしようと考えていたのでしょうか?
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当時、建物の設計を担当したMOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIOさんと、ホテルの代表の青山敦士さんが、綿密な話し合いをかさねて製作された資料。こちらを使って、役場や住民のみなさんに説明会をしたそうです。
新しいホテルのテーマは、全ての人に開かれた施設でした。
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写真のラウンジは、現在のジオラウンジにあたるスペース。構想当時は、誰でも気軽に施設内へ入れるように、屋内と屋外の境目がわからないような設計になっていました。
サービスの面でも、島の自慢の人・物・事をサービスに取り入れたり、隠岐の島各地の観光や産業のスポットへとゲストを送り出したり。従来のホテルのように建物の中だけで完結させるのではなく、隠岐の島全体で一つのホテルとして、ゲストをもてなしたいと考えていたそうです。
”広い間口”という根本的な贅沢
手つかずの島々とカルデラ海という隠岐ジオパークを最大限味わってもらうために、客室は視界のほとんどを隠岐の風景が占めるように設計をイメージ。それによって「始原の地球を感じさせる風景の只中でくつろぎ、眠る」という他では体験できないような経験をゲストに提供したい、と考えていたそう。
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間口が広く、奥行きが浅い空間なので、全ての場所は風景のとなりになります。新棟客室の浴室は、その広い間口を活かして、景色の良いビュー・バスとなっています。隠岐の風景を眺めながら、ゆったりくつろぐプライベートなバスタイムを提供してくれます。
隠岐のホテルの "最高"とは、何か?
海士をはじめ、隠岐の島々には「そこにしかない」が「そこかしこ」に存在、あるいは潜在しています。そこで、この隠岐のホテルでは、様々な「そこにしかない」を見つけ出し、隠岐そのものによってゲストをもてなそうと考えました。
「隠岐の”そこにしかない”で、もてなすホテル」なのです。
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隠岐のホテルが目指す「最高」とは、ロイヤル・スウィートで、葉巻と強い香水の中、シャンパンをグラスで…なんていうどこにでもあるようなものではありません。
ーーでは、隠岐の ”そこにしかない”は一体なんだったのでしょうか?
資料には5つの"そこにしかない"があると書かれています。
1そこにしかない”地球の風景”
隠岐のそこにしかない資産の一つは、ジオ・パークにも指定されるダイナミックな「地球の風景」。太古の昔から存在してきたかのような風景がここに滞在する人々にとって最大のもてなしであると考えました。
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2そこにしかない”人々との出会い”
島の人々とゲストの良き出会いを演出する総合的な建設計画を行い、相互に恩恵が生まれるよう計らいます。
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3そこにしかない”歴史・文化”
島に潜在する様々な歴史的・文化的な観光スポットや既設の催事を紹介し、連動させる観光のヘッダーとなるホテルを目指したいと思います。
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ホテル内での滞在で完結させず、陸路・海路を活用して、海士町を始め隠岐の島全体にゲストが訪ねていく機会を創出し、「隠岐全体の観光ネットワーク」を構築します。
4そこにしかない”食”
地場の「美味しい料理」は、改めて言うまでもなく旅行者にとって大きな目的の一つです。CASシステムによる一年を通して味わえる新鮮な魚介類や、隠岐牛を始めとした豪華なもの。乾ナマコなどの高級伝統食材等々。
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これらを料理したホテル内メニューの提供はもちろん、島内の飲食店舗からのケイタリングやその逆に島内店舗への食べ歩きがし易い。出入りしやすい建設計画を行います。客室にミニキッチンを設けて、地場の市場や山海で得た食材を料理できるようにするのもいいでしょう。
5そこにしかない”アクティビティ”
ジオ・パークに指定されるだけに特徴的な隠岐の地形、たとえば、カルデラの地形がうみだす静かな豪雨や、穏やかな里山や丘陵は、都市生活者の目に大変魅力的に映ります。
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これらを活用してパドリングやシュノーケリングにフィッシング、サイクリングやランなどの健康増進的なアクティビティを、可能な限り隠岐の既存観光活動と連携据えることで準備し、これを効率よく持続可能な建設計画とします。
施設全体のブランド名はEntôへ
2021年7月1日、Entôがグランドオープンしました。読み方は「エントウ」。「遠島」 「縁島」「遠灯」 「En” 英語で 『中へ入る』」 と言った複合的な意味合いを持ちつつ、隠岐・島前・海士らしいブランド名として付けたそうです。
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北前船、現在から約800年前の後鳥羽院の遷幸など、今も昔も変わらず多様な人々を受け入れ、共に進化していく海士町・島前・隠岐の歴史・文化の拠点として、これからも多様な人と共に時間と場を過ごし、新たな挑戦と思い出を紡いでまいります。この時代だからこそ「遠くにある」ことは大きな価値に代わりつつあると捉え、旅そのものの価値を見直すことを大きくうたう名前として、また「遠くにある灯」「縁ある人が集う島」であるように想いをこめました。
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ひとつの施設に、宿泊機能と(展示室”Discover”やフィールドコンシェルジュなど)ジオパークの魅力を最大限体験するための様々な機能をシームレスに包含する本格的なジオ・ホテルは、日本初となりました。
▼ グランドオープン前日の青山さんの想い
展示をご紹介
写真展では他にも様々なものが展示されていました。その一部をご紹介します。
昔の海士町の様子。
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海側からの隠岐 緑水園の写真。
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隠岐 緑水園の竣工式の様子を撮影したネガフィルム。
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マリンポートホテル海士の竣工式の様子が映像で。
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マリンポートホテル海士の建設中の映像まで。とっても貴重ですね!
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こんな図面も展示されていました!
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写真展「福井1375-1」では、Entôのビジュアルアイデンティティを担当された日本デザインセンターさんから、素敵なメッセージとイラストも。
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隣の家の人の顔も良く知らない時代。「距離」って、何だろうと思っていました。Entôは、とてもとても遠い場所だけれどもデザインセンターの5人にとって、とても身近な場所です。
「島流しって、罰じゃなくて、ご褒美だ」
1人でも多くの人にとって、Entôがこれから心の距離が近い場所になりますように。
松本敦 是方法光 本山真帆 三澤透 鈴木正樹
この小さな島の在り方を世界へ発信し続けていきたい
最後に、冒頭で載せたEntô代表の青山さんからのメッセージの続きをご紹介します。
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大小180からなる隠岐諸島
このEntôが生まれた意味とは何か
改めてこれだけ便利になった時代に、あえて遠くへ旅する意味をゲストと共に考え、感じていきたいと思っております。
数百年前にこの島にたどり着いて人々が見た景色。そして、数百年後にも残っているかもしれないこの島固有の風景。この風景に暮らす豊かさと、この島の風土や受け継がれる営みと共に出会いを味わってほしい。そんな願いを込めて、このEntôは創られております。
「地球に、ぽつん。」
俗世とは離れたこの大自然。昔から続く人と人との交わりに触れ、その果てにこそ出会うことのできる、等身大の自分と そして、あるがままの地球。
そんな旅をゲストとともに、これからも作り続けていきたい。
最後に、このEntôを築いてくださっている全ての方々。このEntôが産まれるまでの幾度とない困難に立ち向かっていただいた数え切れない皆さまへ。
心からの感謝を申し上げます。
ないものはない。Entôはこの小さな島の在り方を世界へ発信し続けていきたいと、スタッフ一同考えております。
おわりに
Entôに至るまでの半世紀を振り返ってみて、これまで海士町に住んできた多くの方や今住んでいらっしゃる全ての方々がこの景色を守り、海士町らしい文化が育んできたからこそ、このEntôは生まれたように感じます。
もう半世紀後には一体どんな姿になっているのか、わくわくしてきます。
これからの半世紀に向けて、Entôに関わっている方のインタビューを記事にしていこうと思っています。そちらも楽しみにしていてくださいね。
LINKS
▼ 写真展にかけるスタッフさんの想い
▼ Entô代表青山さんが語る、海士町の観光に対する想い