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海士人(あまじん)

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見どころ満載!島内で様々なことに挑戦されている海士町の「人」にフォーカスした記事をまとめました。
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#大人の島留学

見どころ満載!海士町でいろいろなことに挑戦している「海士人」紹介マガジンができました!

海士町noteが作成している、海士町みんなのnoteマガジンや海士町教育委員会のマガジンには、計1,000本を越える記事が掲載されています。 それらの中から、海士町の「人」にフォーカスした記事をまとめ、新たに「海士人」というマガジンを作成しました。 さらに!海士人マガジンに掲載している記事のマップ化もしています。気になる記事から、気になる場所から、海士のみなさんを知っていただけるとうれしいです✨ マガジンを作成するに当たって、海士町noteスタッフの私が、ぜひみなさんに

島の教育魅力化の先駆者の一人【豊田庄吾さん】。「地域」×「教育」を一生貫くと決めたときから

海士町に来て15年。 離島で教育魅力化を牽引した一人である、豊田庄吾さん。 この春から新たな目標に向かって走り出す豊田さんの軌跡をたどります。 海士町までの道のり海士町に公立塾(隠岐國学習センター)を設立し、島の教育を切り拓いてきた豊田さん。教育に関わるまでにはさまざまな道のりがありました。 ーー海士町に来る前の経緯をお聞きしても良いですか? 豊田さん: 福岡県大牟田市出身で、広島の大学を卒業後はリクルートグループの会社に就職し、東京で働いていました。人事の仕事をしたり

島のクリエイティブを作る人。旅館・動画・音楽…一体、どんな人生を?

海士町で四代続くなかむら旅館のオーナー兼、動画クリエイターの中村徹也さん。 マルチに活動する中村さんは一体どのような人生を歩み、どんな思いで動画を作り、旅館を営んでいるのでしょうか? 料理、音楽、俳優。さまざまな勉強をした20代。高校からは海士町を出て、松江で下宿生活を送っていた中村さん。高校卒業後は、大阪の証券会社に就職。その後は料理、音楽…勉強をするために各地を飛び回った。 (中村さん)証券会社を辞めたあとは手に職つけようと思って、大阪で料理の勉強を始めたんだよね。

”背中で魅せる”大人でありたい

みなさんこんにちは、そして初めまして、大人の島体験生の山田若奈(やまだわかな)です。今回初めて記事の担当をさせていただくことになりました。 初めての記事でとても緊張していますが、海士町教育委員会の魅力をぜひ、感じていただければと思います。 3人目の「あま育を支えるひと」は海士町教育委員会共育課係長、勇木香織(ゆうきかおり)さんです。 結婚もしたい、海士町にも行きたい、、、結婚して海士町に住もう!ー25歳の時に旦那さんと海士町に来たゆうきさんは、そもそもなぜ海士町に?

郷土愛を育む読み物を届け続けたい

大人の島体験生が海士町の地域共育を支える方々に熱い思いを伺うインタビュー企画「あま育を支えるひと」。2人目は海士町教育委員会学芸員 水谷憲二(みずたにけんじ)さんです。 プロフィール ーどのような経緯で海士町の教育委員会に勤務されることになったのですか?前職の三重県総合博物館で働いていたとき、当時の館長が海士町の文化事業に携わっていたんです。その繋がりで声をかけられました。 実際に海士町に勤務することを決めたのは、3つ理由がありました。 まず1つ目は、前の職場が大きい

「心が豊かになる共育」を考え続けたい

みなさんこんにちは。大人の島体験生、名取彩雲(なとりあやも)です。 4月下旬から海士町教育委員会でインターンをさせていただき、早くも2か月が過ぎました。見えてきたのは、教育委員会の職員の皆さんが熱い思いを秘めてお仕事をされていること。 海士町の地域共育を支える方々ひとりひとりの熱い思いをじっくり知りたい!知ってほしい!そんな思いが膨らみ、島体験生の山田さんと2人でインタビュー企画「あま育を支えるひと」をさせていただくことにしました。 1人目の「あま育を支えるひと」は海士町

自分を変えるために必死になったからこそ見えたもの

これまでの人生の80%を離島で過ごしている清瀬さんは、鹿児島県にある徳之島で育ちました。島に大学がなかったことから、鹿児島本土へ進学。そして、大学を卒業し2021年4月から1年間の大人の島留学に参画されました。 現在も離島在住歴を更新中。大人の島留学を経て、2022年4月より海士町役場職員として海士町で暮らしています。 「地元が大好きだし、いつかは帰ろうと思ってるけれど、海士町でもっと色々な経験や考え方を身につけたい。」と話す清瀬さんに、海士町に移住した理由や大人の島留学