島のクリエイティブを作る人。旅館・動画・音楽…一体、どんな人生を?
海士町で四代続くなかむら旅館のオーナー兼、動画クリエイターの中村徹也さん。
マルチに活動する中村さんは一体どのような人生を歩み、どんな思いで動画を作り、旅館を営んでいるのでしょうか?
料理、音楽、俳優。さまざまな勉強をした20代。
高校からは海士町を出て、松江で下宿生活を送っていた中村さん。高校卒業後は、大阪の証券会社に就職。その後は料理、音楽…勉強をするために各地を飛び回った。
(中村さん)証券会社を辞めたあとは手に職つけようと思って、大阪で料理の勉強を始めたんだよね。板前のどさ回りをしてた。
その後、「3年だけミュージシャン・俳優を目指してみよう」と思って東京へ行ってみた。プロダクションに入って楽曲作ったり、エキストラで映像出たり。
お小遣い稼ぎって感じだったんだけど、結局芽が出ずに辞めて。
(中村さん)また大阪に戻って、音楽やりながらもう一回料理の修行をやり直した。なんか…どっちつかずだったんだよね。
そのまま、心斎橋で和食創作料理の店を出して。
5〜6年やってたけど、にっちもさっちも行かなくて閉店。海士町に帰ろうかなぁって思い始めた。
(中村さん)その後、松江で新規の店の立ち上げをアシストしながら、料理長をやってた。その頃にミカさんをつかまえたんだよね。
結婚詐欺って言われてる。「島には帰らない」って言ってたのに帰ってきたからね。…帰らないって言わないと付き合ってくれなかったし。
でも、本当に彼女が一番の功労者です。今までもこれからも、感謝してます。
制作:中村さん
島に「LIVE」という娯楽を。ストレスの捌け口になれる場所を。
色々な経験を経て、ミカさんと結婚。33歳で海士町へUターン、旅館を継ぐことを決意。今は旅館業を経営すると同時に、旅館の一階にある居酒屋「紺屋」にて定期的にミュージシャンを呼び、LIVEを開催している。
(中村さん)両親が旅館をやっていることは、何とも思っていなかった。夏は家族旅行にも行ってたし。旅館っていう場所はあるし、こっちの方が生活が安定するかなと思って、継ぐことにした。
兄貴はこの辺では有名なヤンチャなドンだったんだけど、兄貴が移住者とも積極的に仲良くしてたんだよね。その姿を見てて、「今後、移住者増えていくだろうな」とか思って。考え方とかいろいろ、兄の真似をしてた。
(中村さん)紺屋でのLIVEは、今で合計1,000人近くのミュージシャンが来てくれたかな?
「この島の雰囲気が好きだから」って来てくれる人たちばっかり。
LIVEを始めてから「島が豊かになった」って言ってくれる島の人も結構多いよ。
(中村さん)ストレスの捌け口って大事だと思う。ここがその捌け口になったらいいなって。実際LIVEに通ってる移住者は、島に長く残っていて付き合いも長いよ。
2023年11月4日に開催されるアマフェス(後鳥羽院芸術祭)告知動画
コロナ禍で動画制作と出会い、死ぬほど勉強した。そして山陰広告賞金賞。
今では島内の様々なところで動画制作の案件を受けている中村さん。
コロナ禍に入り、少し時間ができた頃、島内でPVを撮っているところを発見。その動画にとんでもない制作費がかかることを知った。
(中村さん)それを見て「俺、頑張れば撮れるかも」って思ったんだよね。
島内の動画を撮るなら、せっかくなら島の人が撮った方がいいなって。
映像業界ってこれからも需要があるだろうし、やってみようと思ってYouTubeとかWEB、本を見ながら死ぬほど勉強した。編集もカメラも勉強は全部独学。
(中村さん)いくつか作っていく中で、海士町に住んでるデザイナーの南さんが「てつさんセンスあるから、広告賞に出してみたら?」
って声をかけてくれて。それで出したら、山陰広告賞で金賞を取ったんだよね。
俺みたいな素人が金賞取ったのは初めてで「いい風吹かしてくれたよ」ってメッセージが結構来た。
底を見せない生き方。そのために、「頑張る。」
音楽、動画とクリエイティブに活動する中、旅館での数々の出会いも、今につながっている。
何事も器用にこなす中村さんが、動画制作において大切にしていることとはーー。
(中村さん)結局音楽とか作ってたから、どんな言葉がドキッとするかとか、そういうのをずっと探す癖があったんだよね。似てたんだと思う、音楽と動画が。
どっちも3分勝負だったり、曲の作り方と動画の作り方は似てる。
動画を作っていく中で、旅館では人脈に助けられているかな。映像畑のすごい人が泊まりに来て、そういう人たちと話すタイミングがあったり、すごく恵まれてる。
実際に見てもらって、アドバイスしてもらうこともあって。おかげさまで、いろんな気づきが早いんだと思う。
(中村さん)でも、これから動画の仕事は少しずつ下の世代に譲っていこうかなと思ってる。
俺が3年でできたこと、若者の方が吸収早いし飲み込みが早いでしょ?自分が動画制作の窓口になったらいいなって。
(中村さん)料理やらずに旅館を継いでいたら困ってたと思う。料理やってたのも、どこかで保険かけながらやってた、だから全部中途半端なの。
今もずっと中途半端。
高校入学した頃、偏差値75くらいあって。そこで「頑張ればできるんだ」って満足しちゃったんだよ。だから中途半端な感じで来ちゃった。
でも、だからこそ「底を見せない」ようにしてる。
「この人ココまでのやつだな」って思われないように、底を見せないために金賞取ってるし、めっちゃ頑張ってる。
こんなん余裕だよ!って言いながらめっちゃYouTubeとか見て、めっちゃ勉強してる。
常に「面白さ」を大切に。
(中村さん)どんなこともお金じゃないんだよね、面白さ。その事柄が面白いか。
これからも面白いことをやっていきたい。
それでいつか爺さんになった時は、島を出て…
どっか、スイスとかに行きたいなぁ。
もう爺さんだけど。笑
さまざまな場所で、才能を発揮する中村さん。
それぞれの分野でいろんな顔を見せてくれる姿は、
島を生きる、生まれ育った海士町を大切に思っていることを語ってくれていました。
これからも島を支える姿、その背中を、見せ続けてください。
▼中村さん作、最新動画【大人の島留学PV第三弾 私たちの大切な言葉たち】
(R5年度 島留学生:柿添)
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