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海士町おすすめnote

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ぜひぜひ読んでいただきたい「海士町に関するおすすめnote記事」です。
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#この街がすき

島の冬は寒かったから、あたたかい写真も残しておきたい。

冬が来た。

海士町史に刻まれる希代のリーダー

2024年1月3日、悲しい報せが島を走りました。 前町長である山内道雄さんがご逝去。85歳でした。 山内さんは現役時代、前代未聞の挑戦を重ねて海士町を変革へと導いた、まさに激動期のリーダーです。炎のように熱く気合いに満ち、かつ愛嬌があり思いやりあふれる“情の人”。 「やるなら本気で、思い切りやれ!」と、職員らのヤル気に火をつけただけでなく、島で何かにチャレンジしたいという多くの若い移住者を応援し、見守り、“Iターンの父”とも呼ばれる存在でした。 「山内さんにとって、『ない

見えないレールの上を歩いていた私が、そのレールから降りたとき

東京の大学4年生を休学し、参画した大人の島体験。ぶどう畑や空き家整備、広報として働きながら「圧倒的な原体験をした」と語る彼女が過ごした1年間とは? 今回はR5年度大人の島体験4-6月生として海士町に来島。その後、制度を延長し1年間島に滞在。 島前ふるさと魅力化財団で働く、常峰菜生さんのインタビューをお送りします。 来島から約11ヶ月。離島直前の常峰さんに、海士町で過ごした大人の島体験について聞かせていただきました。 みんなと同じ道、見えないレールの上を歩いていた。 2

あたたかいごはんを、みんなで食べる!海士町の地域食堂🌻

「みんなで作り、みんなで食べ、みんなで楽しむ」。 昨年10月に始まったひまわり食堂は、海士町社会福祉協議会の”食つなぎチーム”が運営する地域食堂。 食つなぎチームやボランティアスタッフのみなさんが調理をし、開催地区のみなさんはどなたでも参加していただけるイベントです。 食つなぎチームが掲げている「食で地域をつなげる。」を目標に、これまでにもさまざまな地区をまわり、ひまわり食堂は開催されてきました。 そんな、地域のみなさん誰もが参加できるひまわり食堂の様子、のぞいてみまし

ちょうど1年前、旅行ではじめて海士町に来たときのこと

初めて海士町にやってきたのは、去年の11月のこと。 初の長時間フェリー、ほとんど初めての離島。なにも知らなかった私が、海士町を二泊三日で訪れたときのお話です。 ・・・・・・・・ 海士町note担当、R5年度大人の島留学の柿添です。 今年の4月に海士町へ移住することに決まったのが、去年の9月ごろ。 「移住前に一度行ってみよう!」と一年前の11月、羽田空港を出発し二泊三日の旅に出発しました✈️ 初めて降り立った米子空港! この道をまっすぐ進むと、境線の米子空港駅につながり

冬が来るまえに、島の秋を写真で残しておきたい。

島の秋は、雨が降って止んで。 こんな天気の日は、

変化を続ける島でのはたらき方。2023年度グッドデザイン賞を受賞、AMU WORKの今。

「いろいろな仕事を掛け合わせて、わたしらしく編んでいく。」 島の特色である産業を生かしながら働き方をデザインするAMUWORK(海士町複業協同組合)は、グッドデザイン賞を受賞しました。国が定める「特定地域づくり事業」としては、全国初となります。 今回はAMU WORK事務局のお二人にお話をお聞きしました。 (手嶋さん)グッドデザイン賞の受賞は、AMUWORKの取り組みを客観的に評価していただけたんだと、改めて認識することができました。 (山口さん)グッドデザイン賞って

島のクリエイティブを作る人。旅館・動画・音楽…一体、どんな人生を?

海士町で四代続くなかむら旅館のオーナー兼、動画クリエイターの中村徹也さん。 マルチに活動する中村さんは一体どのような人生を歩み、どんな思いで動画を作り、旅館を営んでいるのでしょうか? 料理、音楽、俳優。さまざまな勉強をした20代。高校からは海士町を出て、松江で下宿生活を送っていた中村さん。高校卒業後は、大阪の証券会社に就職。その後は料理、音楽…勉強をするために各地を飛び回った。 (中村さん)証券会社を辞めたあとは手に職つけようと思って、大阪で料理の勉強を始めたんだよね。

青梅の収穫と海士町ブランド『蘇婆訶梅(そわかうめ)』が届くまで

気づけば6月。青梅が収穫時期を迎えました。梅干しや梅酒、梅ジュースなどを思い浮かべますね。 今回は、海士町崎地区にある丹後貴視さんが管理する梅林にお邪魔してきました。 その様子お届けしたいと思います。 海士町の最南端崎地区の梅林へ丹後さんは、かつて海士町で盛んに生産されていたみかんを復活させようと発足された、「崎みかん再生プロジェクト」に携わる一人。 梅林もみかん畑とあわせて任されたと話します。 梅林になる梅は 「南高(なんこう)」 「梅郷(ばいごう)」 「紅映(べにさ

島に帰ってきて、自分と島をみつめる。自信をもって次の半年も行ってきます!

今回お話を伺ったのは、 2022年の4月から9月まで隠岐國学習センターで働いていた、山下弥桜(やましたみお)さん。 山下さんは西ノ島町出身で、大学進学を機に島を出ていましたが、 今回島体験生として島に帰ってきました。 そんな山下さんが半年間で見た島の姿、また自分自身の姿とは、 山下さんの島前での半年間をお届けします。 一度島に帰ろう 西ノ島で生まれ育って、地域に貢献したいという気持ちがあって、 いつか島に帰りたいって思っていました。 でも大学で島の外に出て、島の外で暮

白熱した闘い、ここにあり!ー23年ぶりの牛突き大会

こんにちは!海士町役場の総務課です。10月16日(日)に隠岐神社外苑で後鳥羽院御遷幸800年を記念して、23年ぶりに牛突き大会が行われました!!当日は約700名の来場者にお越しいただきました。 「牛突き大会」の様子と、大会前日に行われた「隠岐神社秋季例祭および後鳥羽院遷幸800年記念植樹」の様子を写真とともにお届けします。 記念植樹(10月15日)牛突き大会の前日に行われた記念植樹は、平成27年度の子ども議会にて「100周年をむかえる隠岐神社の桜を未来に残していこう」とい

Entô1周年ー原点に立ち返るきっかけを

2022年7月1日、Entô(隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設)が開業して1年になります。1周年を記念して、Entôジオラウンジでは、「福井1375-1」と題した写真展が開催されることになりました。 この1周年という節目に、Entôチームのみなさんはどんな想いを抱いているのでしょうか。今回はEntôの立ち上げから関わってきた、池内さんと長松さんにお話をお聞きしました。 写真展の開催日時などについてはこちら Entôにしかできないことを模索していきたい 池内

若い頃はひたすら試練。40代で「解き放たれた」!?

中里地区から西地区へ向かう道沿いに建つ、クールな外観の建物。 周りは田んぼだらけのいわゆる“田舎の風景”ですが…だからこそ、思わず目を奪われます。 さわやかなライトブルーでデザインされたお洒落なロゴの隣には「YUDEN」の文字。 ここは、水道や空調設備の施工を行う地元企業、株式会社ゆうでんの事務所です。 「カッコいいだら?イメージは大事だけんな!海士町にもイケとる会社があるぞって、毎日ここを通る海士中学生たちにマインドコントロールをかけとるだわい!」 そう言ってニヤリ

ないものはない!島らしさがつまったハンバーガーができました。

「ハンバーガーが食べたい!」 人生で一度は言ったことのあるセリフ。 これまで海士町にはハンバーガーを食べられるお店がありませんでした。島だから仕方のないこと。と、諦めないのが海士町らしさ。 2021年11月末より、島の玄関口、菱浦港内にある船渡来流亭(セントラル亭)でセントラルバーガーが販売されています! 船渡来流亭の店長である杵築さんと、セントラルバーガーの発案者である大人の島留学生の福垣内さんに、考案のきっかけやこだわりポイントなどをお聞きしました。 島の人も、