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みんなの「ないものはない」ストーリー

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We have nothing? / We have everything? 「ないものはない」的だ!と感じたエピソードをまとめています。
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#島根

「島じゃ常識さざえカレー」、「ないものはない」の誕生秘話。梅原 真さん・玉沖 仁美さんとのお話し会

島じゃ常識さざえカレー。海士町では誰もが知っている特産品。 このパッケージデザインをはじめ、「ないものはない」をデザインしていただいた梅原さんと、約25年前にさざえカレーの商品開発に尽力いただいた玉沖さん。 お二人ご一緒に海士町へ来られたこの機会に、隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設 Entô にて、お話し会が行われました。 平日夕方にも関わらず30名を超えるみなさんに参加いただきました。お話し会の様子をお届けします。 ミニ講座:「そこにあるもの」をデザイン

海士町noteスタッフが「ないものはない」を振り返る!写真と記事3選でお届けします。

海士町のキャッチコピー「ないものはない」。 「ないもの」は、なくていい。 大事なものごとは、すべてここにある。 この言葉には、2つの意味が込められています。 今回は、1年間海士町noteを担当したスタッフ2人が、写真や記事とともに「ないものはない」を振り返ってみようと思います。 写真で感じる「ないものはない」📸 1年間で撮影した写真をもとに、私たちが感じた「ないものはない」を集めてみました!!島の四季とともに楽しんでみてくださいね♪ 青い空と青い海! この景色を見る

海士町史に刻まれる希代のリーダー

2024年1月3日、悲しい報せが島を走りました。 前町長である山内道雄さんがご逝去。85歳でした。 山内さんは現役時代、前代未聞の挑戦を重ねて海士町を変革へと導いた、まさに激動期のリーダーです。炎のように熱く気合いに満ち、かつ愛嬌があり思いやりあふれる“情の人”。 「やるなら本気で、思い切りやれ!」と、職員らのヤル気に火をつけただけでなく、島で何かにチャレンジしたいという多くの若い移住者を応援し、見守り、“Iターンの父”とも呼ばれる存在でした。 「山内さんにとって、『ない

謙虚に生きる。“繫がり”を続けていくために

「『ないものはない』って、もっと謙虚に使うべき言葉だと思う」 と、ぼそりと胸の内を伝えてくれたのは、Mさん(仮名)です。 「実際の島暮らしって、自分に何ができるかも大事ではあるんだけど、自分には何ができないのかをちゃんと分かっていることのほうが重要な気がします。その自覚がないと、島での人間関係づくりはうまくいかないんじゃないかな…」 そう語るMさんは、海士町出身の40代男性。15年ほど前に本土からUターンしました。島に戻り、今どんなことを考えながら暮らしているか。その話を

隠岐・海士町。「ないものはない」島のゆたかな時間

島に来た。 本土からフェリーで三時間。船酔い防止に寝そべった二等船室の床は硬くて、ゴゴゴというエンジンの振動が尾てい骨を伝って身体中に響く。今日は海がしけらしく、揺れる。フェルトを固めたみたいなグレーのカーペットに、汚れを気にする暇もなく転がって時間が過ぎるのを待っていた。 民謡のような音で起こされると、やっと菱浦港のアナウンスが流れている。船着場は、木でできた可愛らしい建物だった。どうやらここは観光案内所や土産屋、地元の食材売り場まで揃った施設らしい。 私が訪れたのは

ゆっくり、海士町を歩いてみる

海士町に来てから、ただ道を歩きたくなったり、 自然を見てみたくなったりすることが多くなりました。 海士町note担当、R5年度大人の島留学生です。 海士町に来るまで、休日は何かと予定を入れてどこかへ行ったりしたけれど… ないものはないからこそ、見てみたいものが出てくるのかもしれません。 夏はじりじりと照りつけていた太陽もおとなしくなって、 外に出られる気温になったことも、一つの理由でしょうか。 港の近くに、なんだか登っていけそうな道を見つけました。 登ってみるとその先

舟小屋再生プロジェクト、昔ながらの工法で100年前の歴史を再び。

海士町の指定文化財宇受賀命神社が建つ、海士町の宇受賀地区。 田んぼが広がり稲穂との景色も美しい地区です。神社を横目にまっすぐ進むと宇受賀漁港が広がります。 ここ宇受賀地区の舟小屋は当時の場所にそのまま残っており、舟小屋では海士町の伝統的な舟である「かんこ舟」を守ってきました。 そんななか、海士町の有志が集った「海の士(ひと)を育む会」さんと島根大学建築デザイン学コースの小林久高准教授、総合理工学部4年生の仲田ひなたさんを中心に舟小屋再生プロジェクトが立ち上がりました。

ないものはないからこそ

わたしは少し前に、島根県の隠岐諸島のひとつの島、海士町(あまちょう)というまちに1週間ほど滞在していた。本土からフェリーで3時間、東京からは移動に半日かかる離島だ。 海士町に行って、というか、東京に帰ってきて一番感じたことは、いろんなものがないからこその、生活だった。 海士町から帰って最初の休みの日、特に予定がなかったので、なにがしたいかなぁと思ったときに、頭に浮かんだのが「釣り」だった。 島にいる間に2回、島のひとに釣りに連れて行ってもらった。人生でほぼ初めての釣りだ