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文系出身の私が新卒で理系分野の道を選び、退職後、離島・海士町に来た理由

隠岐島前3町村それぞれの公式note担当者と#離島にもっと若者の還流をnote(以下還流note)による本リレー記事企画。

企画のコンセプトは、「海士町・知夫村・西ノ島町それぞれの公式noteと還流noteを周るきっかけをつくること」

記事のテーマは、「移住や島暮らし」です。是非、記事をきっかけに隠岐島前地域の公式noteや他クリエイターのnoteへお立ち寄りいただけると嬉しいです。

新たな発見や気づきに繋がる時間になりますように。


私は東京都出身で、都内の大学の法学部を卒業している社会人です。昨年10月に島体験(島の暮らしと仕事を考える3カ月のインターンシップ)に参画するために、海士町へ行きました。島に来る前はエンジニアとして自動車部品の設計に携わっていました。

これから大人の島留学や島体験に参画しようとしている人や現在の自分の進路に迷いやモヤモヤ、違和感を感じている人に向けて、私が島体験に行くことを決めた理由についてお伝えできればと思います。


1つのものをみんなで作り上げることにやりがいを感じた学生時代


まず、文系出身の私がなぜエンジニアの道を選んだのかというと、学生時代の経験からみんなで何かを作り上げることにやりがいを感じていたからです。

学生時代、私は吹奏楽部に所属し、毎年夏休み中に行われる吹奏楽コンクール、入学式や卒業式などの学内行事、海外での演奏など中学からの10年間はその時々のメンバーとともにいろいろな場面で数々の演奏を行ってきました。
その中で最も印象に残っている出来事は、大学3年次の定期演奏会です。

リハーサルの様子です。本番前日の夜ご飯は毎回好きなものを食べると決めています。


大学時代、所属していた部活動は、渉内、渉外、財務など、いろいろな局によって構成されており、私はその中の広報局に所属していました。そこでは、駅前でのチラシ配り、ポスター貼り、招待状のポスティング、公式SNSを使っての宣伝など主に情報発信に関する活動を行い、団体を支えていました。


動きながら演奏をする「マーチング」も毎年披露していました。座奏よりも覚えることが多く大変でしたが、大学3年次はとあるイベントで最優秀賞を受賞することができました!


大学3年次は執行部として活動をしていたため、大学1年と2年の時と比べ、考えなければならないことが多くなり、とても忙しい1年間だったことを覚えています。

広報活動も演奏面も学業面も1つも疎かにすることはできず、またアルバイトもしていた私は、ゆっくりと過ごす時間がほとんどありませんでした。そのため、部活動に入っていない同じ学部の友人から旅行に行った楽しそうな話を聞いたり、なかなか思うように吹けない時があったりすると、部活動をしている自分が嫌になって辞めたいと思うことが何度もありました。


毎年春と夏に山梨県で合宿をしていて、その時に見えた富士山です。この場所から美しい富士山を見ることも合宿に行く楽しみのうちの1つでした。


しかし、それでも辞めずに続けることができた理由は、子どもの頃から楽器を演奏することが好きということと、支え合う仲間がいたからなのではないかと考えています。

大学の定期演奏会は、執行部を中心に企画から運営まですべて自分たちで行いました。途中大変なこともありましたが、そのようなことがあってもみんなで協力し合いながら乗り切りました。

そして、迎えた本番当日。目標集客人数の500名を上回る約700名のお客さんに来ていただき、演奏会を無事に終えることができました。

高校入学と同時に始めたクラリネットです。もともとこの楽器がやりたくて中学から吹奏楽を始めましたが、中学校3年間は希望が通らず、他の楽器を担当していました。


終演後のロビーでは、来てくれたお客さんから「楽しい演奏会だった」とか「選曲すごく良かった!」などと感想を直接言ってもらえて、本当に最後まで諦めずにやって良かったなと大きな達成感を味わうことができました。

このような経験から、1つのものをみんなで作り上げることにやりがいを感じたことと大学4年次に就職活動をしている時、3DCADの面白さに惹かれたことから自動車関係の会社への就職を決めました。


会社を退職した理由はやりたいことがあったから

そんな私がなぜ退職をしたのかというと、会社員として働き始め、しばらく経ってから当時在籍していた会社の働き方に疑問を感じるようになったからです。

大学では行政法のゼミに所属していて、そこでは行政に関するさまざまな判例をもとに、ゼミの同期と意見交換をしながら勉強をしていました。

ゼミでの経験と新卒時代の経験から、やりたいことが見つかり、そのやりたいことは公務員にしかできないことであると考えました。そのための手段として、まずは「公務員になること」を目標に、退職してからは合格に向けてひたすら試験勉強をしていました。

休憩時間に撮った桜の写真です。ずっと室内で勉強してると疲れてしまうので、受験期は時々外に出てリフレッシュしていました。


と同時に、留学にも興味があった私は、仕事を辞めて自由に動ける今のうちに、海外も含め、どこか行ったことのない場所に行きたいなぁと考えていました。そんな中、夜、たまたま付けていたテレビで島根県の離島で働く人を見かけ、気になってインターネットで調べた時に、大人の島留学のホームページにたどりつきました。

出発当日は隠岐諸島に近づくにつれて、曇り空に変わり天気が心配でしたが、雨に降られず無事菱浦港に到着しました。


都会の暮らしに慣れていた自分にとって、1年間の島留学だとハードルが高いなと感じたため、短期間の島体験制度に興味を持ち、応募することを決めました。

島に来た理由は、自然の中で暮らしてみたいという気持ちがあったことと、そこで暮らすいろいろな人と話して視野を広げたかったからです。また、地方で働く公務員の仕事・働き方に興味があり、町役場でインターンをできる機会があるのならと思い、思い切って来ました。


今の職場を選んだ理由は学生の時の経験がきっかけ

公務員の仕事に興味があった私は、町役場で働くことを希望し、昨年10月から海士町役場の総務課に所属しています。
主な業務内容は、情報発信業務で海士町公式noteに記事を書くことです。大学時代、広報活動をしていた経験から、仕事としてもやりたいと考え、選びました。


記事を書く楽しさと難しさの両方がわかった

実際に働いてみて、楽しかったことは、記事を公開して、自分が書いた記事を知り合いから「良かった」や「共感できた」などという感想を言ってくれたときに、もっと良い記事を書きたいと思えるようになったことです。

その他に、海士町役場独自の取り組みであるわがとこバスツアーの運営業務にも携わっています。この業務を行った時に、参加者の方にツアーを楽しんでいただくためには「自分も楽しまなくては」と考えていたため、いろいろな場面で参加者に積極的に話しかけるようにし、バスガイドとしてみなさんに楽しんでいただけるよう盛り上げました。

昨年実施したわがとこバスツアーです。参加者の人数は少人数で行う日もあれば、10名以上の日もあり、その時によりさまざまです。


参加者のみなさんから感想をいただく場面では、「楽しい時間を過ごせた」「参加して良かった」などと言っていただき、頑張って良かったなと思いました。

一方で、大変だったことは、記事を書くときに自分が伝えたいことは何なのかを明確にすることです。海士町役場の取り組みを紹介する記事を作成する時に、現場で感じたことから自分が何を伝えたいのか見つけるまで時間がかかってしまいました。


奇跡的に現場で虹が見えたため島にいることを実感

島ならではないかと感じたエピソードは、職員に同行して第三者目線でインタビュー記事を書くときです。その時に同行した現場は崎地区のみかん畑で、このみかん畑は山を切り崩した斜面に位置しています。当時、雨が降っていた現場では虹がかかったため、周りを山と海と虹に囲まれながら作業を行いました。

写真を撮りそこねてしまいましたが、この場所からきれいな虹が見えました!


居心地の良さを感じた職場

私は働くうえで職場環境を最も大事にしています。島と本土で働いてみて感じたことは、海士町には温かく、穏やかな方が多いということです。総務課の職員さん以外の方とも仕事で関わることが何度かありましたが、総務課の職員さん含め、3か月間今までに関わった人は優しい方が多く、今の職場は居心地が良いなと感じています。

先程、公務員志望であることをお伝えしましたが、昨年有難いことに、他の自治体から内定を頂くことができました。今後は、今年4月に入庁予定の職場の方とコミュニケーションを積極的にとり、海士町役場のような居心地が良いと思える環境を自分からつくっていけるようになりたいと思っています。


あまマーレで休日を過ごすことが多い私です

休日は、宇受賀地区にある「あまマーレ」という廃園を活用して生まれたコミュニティスペースによく行き、読書をしたり、楽器を練習したりしています。


大学を卒業してから時間がなく楽器を吹いていませんでした。海士町に来てから久しぶりにイベントに出演したときに、お客さんの前で演奏をすることが楽しいと感じたため、自分は音楽が好きということを改めて実感することができました。


施設の一部です。部屋がいくつかあり、廊下には本がたくさん並んでいて、私にとって落ち着く空間です。


その他の日は、シェアメイトと時々隣の西ノ島町に遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったりしながら楽しく暮らしています。

休日にシェアメイトと茶蘭花でお昼ご飯を食べたとき。


離島でも好きなことをしながら楽しく暮らすことができる

休日は楽器を練習しているとお伝えしましたが、最初は島で楽器を演奏できる機会があるなんて思っていませんでした。しかし、島に来てから、海士町には「海士ブラスバンド」という音楽団体があって、楽器経験者の人も意外とたくさんいらっしゃることを知り、その中で知り合った方々とイベントに向けて練習をしながら、たくさん交流をすることができました。

昨年12月、海士町内にある島民ホールでクリスマスコンサートを行いました。写真は本番前の1枚で、出演者は控室にいます。


大人の島留学・島体験を検討されている方へ


来る前は「島で暮らす」楽しみより不安のほうが大きかった私ですが、きっかけを無駄にせず主体的に行動したことで、結果的に、離島でも自分の好きなことをしながら、3カ月間楽しく暮らすことができました

これから大人の島留学に参画しようと考えている人は、ぜひ積極的に行動して、自分らしい3か月あるいは1年を過ごしていただけたらと思います。

知夫村にあるアカハゲ山展望台からの景色。


また、学生時代に法律を学んでいた私が、新卒で機械設計業務をやり始めた初期の頃は、入社前に思い描いていた仕事内容とは大きく異なり、エンジニアになると大学4年の就職活動時にした選択を間違えたと思っていました。

同じ年度に入社した理系出身の人と比べて、私はできないことが多かったですが、何がわからないのか1つ1つ明確にし、できないからと言って逃げ出さず、基礎から勉強し続けていました。

その結果、少しずつ3DCADで様々な形状をつくれるようになり、新卒入社した会社で技術職として一定期間勤務していました。その経験によって、自分のやりたいこと・なりたいものが見つかり、その後いろいろなことがあって島体験に参画することになりました。

海士町に来て多くの人と知り合い、学べたことがあるため、あの時にした選択は間違いじゃなかったんだなと思えるようになりました。

私は昨年内定を頂くまで、海士町に来る前も来てからも将来のことでたくさん悩んでいました。この体験談が、過去の自分と同じように、今の選択に違和感・悩みがある1人でも多くの人に届き、意識・行動を変えるきっかけになってくれたら嬉しいです。

もし、今物事が上手くいかないなと思っても、粘り強く続けていれば、その経験は無駄じゃなかったと思える日がきっと来るはずなので、自分を信じて頑張ってください。応援しています。


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以下の記事は私が書いたものです。お時間があればぜひこちらもぜひ見てみてください!


最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは次のnote担当者の方にバトンを渡します。お願いします!

▼ 前回のリレー記事はこちら


島との距離は離れても、気持ちはいつも近くに