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海士人(あまじん)

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見どころ満載!島内で様々なことに挑戦されている海士町の「人」にフォーカスした記事をまとめました。
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#島根

見どころ満載!海士町でいろいろなことに挑戦している「海士人」紹介マガジンができました!

海士町noteが作成している、海士町みんなのnoteマガジンや海士町教育委員会のマガジンには、計1,000本を越える記事が掲載されています。 それらの中から、海士町の「人」にフォーカスした記事をまとめ、新たに「海士人」というマガジンを作成しました。 さらに!海士人マガジンに掲載している記事のマップ化もしています。気になる記事から、気になる場所から、海士のみなさんを知っていただけるとうれしいです✨ マガジンを作成するに当たって、海士町noteスタッフの私が、ぜひみなさんに

こじょうゆ糀を仕込む。島の食文化を守りたいと立ち上がった人たち。

海士町で代々受け継がれてきた「こじょうゆ味噌」。その原料となる「こじょうゆ糀」をこの先の未来に残していくためにーー。 「こじょうゆ糀」とは、海士町の食文化として親しみのある「こじょうゆ味噌」の原料。「こじょうゆ糀」に「塩・水あめ・みりん・酒」などを入れてつくるのが海士町の伝統食「こじょうゆ味噌」です。 ▼こじょうゆ味噌 しかし、一昨年海士町で「こじょうゆ糀」をつくっていたJAさんが事業から撤退。昔ながらの食文化を継承すべく発足されたのが、こじょうゆ組合さんです。 「こ

「島で仕事を作ってほしい。」全国から若者が集まる島で生まれた若者。

島生まれ島育ち。地元が無くなってほしくない。島で仕事を作りたい。 でも、自分の中での幹の部分は、まだ見えてないです。 ーー今年の5月から海士町役場 住民生活課で勤務している井筒 翔太(いつつ しょうた)さん。隠岐島前高校を卒業後、約8年間を島外で過ごした井筒さんが海士町に戻ってきた経緯や、井筒さんの島に対する思いを伺いました。 島で生まれ、島で育ちました。小中高と海士町で過ごした後、県内の大学へ。大学卒業後は東京のIT系の企業に就職したといいます。ーー 井筒さん: 幼少

正解がないからおもしろい。音楽界から海の世界へ飛び込んだ理由【海士町 大敷網漁師 浜口夏生さん】

7月といえば七夕。 そんな季節の風習に親しむ「七夕野外演奏会」がゲストハウス「たちばな」にて行われました。 noteスタッフも季節の気分を味わいに、いってきました✨ 今回のゲストは、2022年1月に海士町に移住した、浜口夏生さん。 音楽大学を卒業され、現在の職業は崎地区にある大敷網(定置網)の漁師さんなんです。 ピアノの世界からIT企業を経て、漁師へ。そんな経歴をもつ浜口さんにこれまでのお話しを伺いました。 3歳からはじめたピアノ、続けることへの違和感。 浜口さん:

表現の軸は「ひと」にある。『アンアン』や『ポパイ』を手掛けたアートディレクターの半生。【海士町出身 新谷雅弘さん】

「ここで泳ぎを覚えてね。あそこに僕の実家があったんですよ。」 そう、気さくに答えてくださったのは海士町多井地区に住む新谷雅弘さん。 新谷さんは聞き馴染みもあるであろう、『ポパイ』や『アンアン』、『オリーブ』といった名雑誌のデザインをしてきたアートディレクターだ。 6/28からは、新谷さんのしごとや手がけた雑誌を特集した展覧会が島根県立美術館で開催されている。 海士町で育ち、アートディレクターとして活躍している新谷さんの過去から現在に迫ります。 取材の舞台は、多井地区。

島外へ流れるお金を減らしたい!救世主はまさかのクラフトビール!?

2023年度の海士町未来共創基金に採択された「島のビールで乾杯を!田んぼと海を活かしたクラフトビール醸造事業」。 事業を立ち上げ、新たな挑戦をはじめる浅井峰光さんにお話を伺いました。 出身は愛知県の浅井さん。なぜ海士町で事業を立ち上げたのでしょうか ――海士町に移住した経緯は何ですか? 浅井さん: きっかけ自体は非常に単純で、島内企業「株式会社風と土と」の社長の阿部さんが私の高校の1つ先輩で。 お誘いいただき、風と土とに入社をするタイミングで移住してきました。 2016年

山陰広告賞を4年連続受賞!海士町在住クリエイター対談【中村徹也さん×南貴博さん】

海士町在住の中村徹也さんと南貴博さんが4年連続で山陰広告賞を受賞されました。 🏆映像部門金賞 人口600人の島の挑戦 広告主=協同組合YADDO知夫里島 制作社(者)=中村組 🏆地方創生賞 AMAFES2023ポスター 広告主=アマフェス実行委員会 制作社=ミナミデザイン 中村さんと南さんは4年連続の受賞ということで今回は特別に受賞作品ができるまでの舞台裏をお聞きしました。 4回目にワケがある、映像部門での受賞。 ーーこのたびは、山陰広告賞受賞おめでとうございます

島の教育魅力化の先駆者の一人【豊田庄吾さん】。「地域」×「教育」を一生貫くと決めたときから

海士町に来て15年。 離島で教育魅力化を牽引した一人である、豊田庄吾さん。 この春から新たな目標に向かって走り出す豊田さんの軌跡をたどります。 海士町までの道のり海士町に公立塾(隠岐國学習センター)を設立し、島の教育を切り拓いてきた豊田さん。教育に関わるまでにはさまざまな道のりがありました。 ーー海士町に来る前の経緯をお聞きしても良いですか? 豊田さん: 福岡県大牟田市出身で、広島の大学を卒業後はリクルートグループの会社に就職し、東京で働いていました。人事の仕事をしたり

海士町史に刻まれる希代のリーダー

2024年1月3日、悲しい報せが島を走りました。 前町長である山内道雄さんがご逝去。85歳でした。 山内さんは現役時代、前代未聞の挑戦を重ねて海士町を変革へと導いた、まさに激動期のリーダーです。炎のように熱く気合いに満ち、かつ愛嬌があり思いやりあふれる“情の人”。 「やるなら本気で、思い切りやれ!」と、職員らのヤル気に火をつけただけでなく、島で何かにチャレンジしたいという多くの若い移住者を応援し、見守り、“Iターンの父”とも呼ばれる存在でした。 「山内さんにとって、『ない

海士町で歩んでいく、勇木史記さんの「陶道人生」

海士町で作陶活動をされている勇木史記さん。 やきものに出会ったきっかけ、海士町に来られた経緯、勇木さんの人生のものがたりをお聞きしました。 やきものに出会った学生時代広島県広島市に生まれた勇木さん。 高校時代からやきものに出会った大学時代のお話しをお聞きしました。 −−やきものに出会ったのはどのような経緯なのでしょうか? (勇木さん)大学の授業で出会ったんだけれど、最初は陶芸の授業があるとは知らなくて。 高校の時に油絵とかをやって楽しくてね、元々は美術の先生になろうと思っ

築100年の米蔵を改修してうまれたゲストハウス「たちばな」が、地域と移住者をつなぐ架け橋に。

築100年の米蔵を改修し、 海士町北分にオープンしたゲストハウス『たちばな』 「いらっしゃい。コーヒー飲んで休みなさい」 中に入ると、笑顔で迎えてくださったのは、ゲストハウス『たちばな』を開業した扇谷光恵さん。 迎えてくださった1階はキッチンと飲食スペース。 温白色の照明に照らされる室内はなんともあたたかみのある空間です。 タンスやスリッパラックなど昔ながらの家具に合うように相談を重ねながら建てたと話します。 2階にあがると、『三郎岩』と『二股島』という海士町にある奇岩

島のクリエイティブを作る人。旅館・動画・音楽…一体、どんな人生を?

海士町で四代続くなかむら旅館のオーナー兼、動画クリエイターの中村徹也さん。 マルチに活動する中村さんは一体どのような人生を歩み、どんな思いで動画を作り、旅館を営んでいるのでしょうか? 料理、音楽、俳優。さまざまな勉強をした20代。高校からは海士町を出て、松江で下宿生活を送っていた中村さん。高校卒業後は、大阪の証券会社に就職。その後は料理、音楽…勉強をするために各地を飛び回った。 (中村さん)証券会社を辞めたあとは手に職つけようと思って、大阪で料理の勉強を始めたんだよね。

自分で育てた「もち米」で作る本みりん「海士の本みりん 儘(mama)」

海士町の自然の”まま”に育った、海士町のその”まま”の味を感じる「海士の本みりん 儘(mama)」。海士町のお米から作られた本みりんができました。 「海士の本みりん 儘 mama」を手掛けたのはみやざきサービスの宮﨑さんご夫婦。自家生産された「もち米」を原料として、愛知県の九重味淋株式会社さん(以下、九重味淋さん)のもとで製造されています。 今回は、宮﨑さんご夫婦に「海士の本みりん 儘 mama」を作るきっかけや、特徴、オススメの使い方などを取材しました。 海士町の食材

海士町の自然、食材、仲間。すべてがチームとなって届ける学校給食

昭和57年4月から始まった海士町の学校給食。海士中学校に隣接された海士町学校給食共同調理場(以下 海士町給食センター)から、出来立てほやほやの給食を小中学校に届けています。 海士町の学校給食は、小学校2校、中学校1校 約220食提供されています。栄養満点!ボリューム満点!の学校給食。海士町の給食の取り組みや想いをお聞きするべく、海士町給食センター栄養士の小田川さんにお話を伺いました。   給食には物語がある給食はどこか特別で、大人になっても話題になるもの。小田川さんは、こ