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みんなの「ないものはない」ストーリー

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We have nothing? / We have everything? 「ないものはない」的だ!と感じたエピソードをまとめています。
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#ないものはない

海士町史に刻まれる希代のリーダー

2024年1月3日、悲しい報せが島を走りました。 前町長である山内道雄さんがご逝去。85歳でした。 山内さんは現役時代、前代未聞の挑戦を重ねて海士町を変革へと導いた、まさに激動期のリーダーです。炎のように熱く気合いに満ち、かつ愛嬌があり思いやりあふれる“情の人”。 「やるなら本気で、思い切りやれ!」と、職員らのヤル気に火をつけただけでなく、島で何かにチャレンジしたいという多くの若い移住者を応援し、見守り、“Iターンの父”とも呼ばれる存在でした。 「山内さんにとって、『ない

謙虚に生きる。“繫がり”を続けていくために

「『ないものはない』って、もっと謙虚に使うべき言葉だと思う」 と、ぼそりと胸の内を伝えてくれたのは、Mさん(仮名)です。 「実際の島暮らしって、自分に何ができるかも大事ではあるんだけど、自分には何ができないのかをちゃんと分かっていることのほうが重要な気がします。その自覚がないと、島での人間関係づくりはうまくいかないんじゃないかな…」 そう語るMさんは、海士町出身の40代男性。15年ほど前に本土からUターンしました。島に戻り、今どんなことを考えながら暮らしているか。その話を

等身大で生きたい! 自分を信じて、朗らかに

2022年に開店20周年を迎えた、海士町の海鮮居酒屋「味蔵(みくら)」。 その味蔵を夫婦で切り盛りし、陰に日向に大将を支える女将が、宇野幸枝さんです。 幸枝さんのもう一つの顔は、ヨガインストラクター。定期的にヨガクラスを開催し、多くの島の女性たちに頼りにされています。   ただ美しいだけじゃない、幸枝さんから滲み出る心地よい強さの正体は、一体何なんだろう? ヨガの活動を始めてから何だか雰囲気が変わった気がするけど、なぜだろう? そんな疑問を胸に秘めて臨んだ、ないものはな

世界と自分とを繋ぐ魔法の道具ーカメラを片手に、越境の旅へ。目指す職業は“高橋恭介”

高橋さんは埼玉県出身で、インタビューを行った2022年冬現在、県立隠岐島前高校の3年生。3年前の春、都会の“海なし県”埼玉の坂戸市から辺境の離島へと『島留学』する道を選んだ稀有な高校生の一人です。 入学した2020年は、まさに新型コロナウイルス蔓延が始まった頃でした。つまり高校生活3年間をコロナと共に過ごした世代です。 「だからこそ得られた経験もあった。コロナが無ければ、『To Be Dozen』も生まれていなかったと思う」 人の話を聞くことや写真撮影の面白さに目覚め、

働き続けたことで見つけた、仕事の楽しさとこれからの目標

海士町役場から自転車で東に5分ほど走ったところに建つ「亀田商店」。海士町の東地区にあります。 亀田商店は、現在、お店を経営していらっしゃる保野ひとみさんのご両親の代から受け継がれています。開業してから70年以上続いているそう。 中に入ると、まず目に飛び込む商品が、たくさんのおいしそうなお菓子。買いに来るお客さんのことを考え、いつもきれいに配置されているのが印象的です。 お客さんは海士町のいろいろな地区からも来られるそうですが、近所ということもあり東地区に住んでいる方が多

23枚の「ないものはない」写真

「ないもの」はなくていい。大切なモノゴトはすべてここにある。島根県の離島・海士町のキャッチコピー「ないものはない」には、そんな意味が込められています。 みなさんは、「ないものはない」と聞いて、どんなシーンを思い浮かべますか? 今年の11月に、町内の産業文化祭というイベントの中で、「ないものはない × #離島にもっと若者の環流を」と題した写真展の企画・展示していました。その作品たちを海士町noteでも公開したいと思います。 美術館気分で、気ままにご覧になってくださいね!

トリックオアトリート!「ないものはない」を実感できた休日でした。

こんにちは!だんだん日が沈むのが早くなってきましたね。 突然ですが、みなさんは休日なにをしてお過ごしでしょうか。 島体験生の私が生活しています海士町の東区では、10月29日(土)と30日(日)に公民館でハロウィンイベントが行われ、運営スタッフの一人として参加しました。東区では初めての試みでしたが、約20名の子どもたちが遊びにきてくれて、無事終えることができました! ハロウィンイベントの準備日と当日の様子をぜひご覧ください! みんなで仲良く・・・ イベント前日は、お昼ご

無いことから生まれるインスピレーション

多くを語らない落ち着いた物腰。知的なほほえみと、凜としたたたずまい。 「家が超絶お洒落らしい!」「センス良すぎ」「でもちょっとミステリアス…」と密かに憧れる女子が多いムラー和代さんは、実は意外にも“放浪の人”だった!? 海士町出身ながら海外生活が長く、ロンドンの芸術大学で真面目な学生をしていた頃も魂は常にロック。なかなかどうしてパンチのきいた人生遍歴を、とくと聞かせていただきました。   和代さんの職場は、海士町教育委員会が運営する交流施設「あまマーレ」。 あまマーレ

料理を出すだけじゃない。目指すのは“場づくり

菱浦港のほど近くに、「きくらげちゃかぽん Motekoiyo」という不思議な名前の食堂があります。海士発祥の民謡「キンニャモニャ」をご存じの方ならば、「あ~、あの民謡の歌詞ね」とピンと来るはず。でもご存じない方には意味不明の呪文のような言葉ですね。 ちょっと奇抜で長いネーミング。ほとんどの観光客は一度聞いただけでは覚えられません。 「でも、これしかない!と思えて。周りの反対を押し切って命名しちゃいました」 と照れ笑いを浮かべるのは、店主の五十島(いそじま)美香さんです。

“島の宝”を活かす。ふくぎ、そして人材。

島で昔から当たり前だった食文化に、“よそ者”、すなわちIターン者の視点で光を当てて商品化する。そんなプロセスから生まれた海士町の特産品として「さざえカレー」が有名ですが、もうひとつ忘れてはならないものがあります。島のハーブティ「ふくぎ茶」です。 ふくぎとは、クスノキ科の落葉低木樹であるクロモジのことで、和菓子の爪楊枝(黒文字)として使われている植物。4月頃から山で咲く淡い黄色の花は、碧さを増し始める春の日本海をバックによく映えます。 “現場のプロ”であればいい  ふくぎ茶

小さなときめきに耳をすませて

25歳にして初めて経験した釣りに感動し、いきなり「よし、漁師になろう」と決意する女子が世の中にどれだけいるでしょうか。しかもそれから1年も経たないうちに離島へ移住し、実際に漁師になってしまう女子が。  海士町には少なくとも一人います。海士町複業協同組合で働く、山郷(やまごう)志乃美さん(埼玉県出身)です。 「爆釣だったわけでも大物を釣り上げたわけでもなく、20cmくらいのカサゴでしたけど(笑) 私の中で何かが変わるほど嬉しくて…」 初めての釣りは2020年5月、大学院修

若い頃はひたすら試練。40代で「解き放たれた」!?

中里地区から西地区へ向かう道沿いに建つ、クールな外観の建物。 周りは田んぼだらけのいわゆる“田舎の風景”ですが…だからこそ、思わず目を奪われます。 さわやかなライトブルーでデザインされたお洒落なロゴの隣には「YUDEN」の文字。 ここは、水道や空調設備の施工を行う地元企業、株式会社ゆうでんの事務所です。 「カッコいいだら?イメージは大事だけんな!海士町にもイケとる会社があるぞって、毎日ここを通る海士中学生たちにマインドコントロールをかけとるだわい!」 そう言ってニヤリ

【しまね女子ブログ】 小坂まりえvol.6

そういえばIターンって、“風の人”なんて言われたりもします。遠くからやってくる人。 響きはカッコいいけれど、地元の人からしてみれば、土地に根付かずにいつか去る人という意味もあり…私はややネガティブなニュアンスでそう呼ばれた経験もあります。 移住者が多い海士町では人の出入りが激しくて、出会いと別れが頻繁にあります。卒業や転勤シーズンの春は特にそうです。 でも私はあまり寂しくなくて、どこにいてもゆるく繋がっていけるから大丈夫、という感覚です。 軽やかに来て鮮やかに去り、そしてま

今月の1枚で振り返る、おだやかな島の日常

小さくささやかだけれど確かな幸せは、いつも日常のどこかに隠れていて、ふとしたときにそっと顔を出してくれるような気がします。 大人の島留学生につくってもらっている「今月の1枚(今月の海士町に掲載)」をまとめてみました。 なにげない日常のひとこまに、島らしい小さな幸せを感じます。海士町の季節の移ろいとともに、ご覧くださいね。 ・・・ 春色 春色の深まりを感じる季節になりました。3月23日、保々見から知々井へ行く道にて。 経過を辿る 散歩帰り、自宅前の山に桜が混じって